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「箇条書き」ばかりしていると「頭が悪くなっちゃう」のはなぜか? | 立教大学 経営学部 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する | NAKAHARA-LAB.net

73コメント 登録日時:2018-08-13 07:30 | www.nakahara-lab.netキャッシュ

立教大学 経営学部 中原淳研究室 中原 淳のブログです。経営学習・人的資源開発に関する研究知見、エッセイ、日々の日記が更新されています。...

Twitterのコメント(73)

自分が最近悩んでたことの答えはこれかもしれない。気をつけよう。
“文章は、「思考の飛躍を、いやがおうえでも、見える化」します。論理が飛べば、文意が通らないし、唐突に感じます。ストーリーをつくることができなければ、単調に感じます。要するに、文意のとおる文章をつくるとは、それだけで思考のトレーニングになるのです”
仰る通り "文章は、「思考の飛躍を、いやがおうえでも、見える化」します。論理が飛べば、文意が通らないし、唐突に感じます。ストーリーをつくることができなければ、単調に感じます。要するに、文意のとおる文章をつくるとは、それだけで思考のトレーニングになるのです。"
"箇条書きばかりをしていると「思考のトレーニング」にならない。ロジックをつくったり、ストーリーをつくらなくても、提案ができ、人に伝えられると思い込んでしまう"
【「箇条書き」ばかりしていると「頭が悪くなっちゃう」のはなぜか?】
とてもよくわかります。。とにかくスピードが求められるシーンが多いので、これからも箇条書きはやめられないと思うんですが、ここ数年あまりにも長文が書けなくなってしまっているのは事実です。。とどめを刺されたような気持ちです。。
最近たまたま読んで、個人的にざわついた記事がこれ。箇条書きすらしんどい位に国語力がないのだけど、論理的思考を苦手に思う理由の一つにこれはあるかもなーと思ったりした次第:
構造とフローを理解してもらいやすくするために箇条書きは頻繁に使うけれど、この文章ではまさにそれができないと言い切っているな。箇条書きだけで表現するなといいたいのかな?文章と箇条書きを織り交ぜて使うことは合理的だと思うし整合性に問題はないと思うけれど。
「箇条書き」ばかりをしていると「頭が悪くなる」
「ロジックレス症候群」
「ストーリーガン無視症候群」
箇条書きも文章も両方できた方がいいし、それぞれが上手くなることでもう一方もレベルアップする補完関係だと思う。
箇条書きも上手い下手あるし。
メモ。すぐに書けるって思った原稿がなんか違う!?と時間かかることあるけど、こういうことなのね。

「文章は、「思考の飛躍をいやがおうえでも見える化」します。論理が飛べば、文意が通らないし、唐突に感じます。ストーリーをつくることができなければ、単調に感じます」
@sasakitoshinao >書き出しただけだと、これは言えるかも
箇条書きとは「ロジックを構築するための構成要素洗い出し」だと思っていたので、単に羅列するだけの行為というのは逆に目からウロコだった。
「文章は、『思考の飛躍を、いやがおうえでも〔ママ〕、見える化』します。論理が飛べば、文意が通らないし、唐突に感じます。」
「箇条書き」で済ませて何とも思っていない学生が、こんなことを感じるのだろうか。
箇条書きは要素の整理とかに使うのであって文章とはまた別のものやろ
もう一度読んでみたが、私の知っている「箇条書き」とこの人のいうそれは、もしかするとまるで違うものなのかもしれない。
10年前のJKを思い出した。
じ→ぢ とか(笑)
箇条書きの脆弱性。
目次だけの本や見出しだけのブログじゃ何も伝わらないもんね。
こういう視点も必要ですね。
だいじなのはむしろ箇条書きの「あいだ」かな。スライドとスライドの「あいだ」。自分が発表の練習を必ずやるのは、この「あいだ」がちゃんと繋がってるか確認するため。
"「箇条書き」ばかりをしていると「頭が悪くなる」からです。
 ええと、「悪くなる」は言い過ぎました(笑)。
   
 「箇条書きは頭がよくならない=思考のトレーニングにならない」からです。"

必読!!
「羅列病」の症例、企画書でよく見る。
これとほぼ逆のことを考えている。僕は「考えるときは箇条書き、人に伝えるときは文章」のスタイル。箇条書きの段階で包含や抜け漏れや優先順位や説明の順を考える。
一方、世の中にはだらだら文章書くが論理性がない人の方が多いと思う。

裏を返せばそれだけ頭が悪い人が増えたって事ですかね
・なんだこれ
・めっちゃおもしろい
やばい、仕事で箇条書きばっかりしてるわ
箇条書きについて興味深いコラム 基本的に理系は箇条書きでの表現に向いていて、人文系は逆という認識。両社の間には、簡便さと紛れのなさを目指すか、ニュアンスまでも含めて精緻に伝わることを目指すかの違いがあり、構造上避けがたい衝突。
なんでもかんでも箇条書きにしたらそりゃダメだけど箇条書きは伝わりやすいからいいよ。箇条書きでいいからみんな / |
冗長な文章をダラダラ書いてる方が頭悪そうだよ
パワポはごまかしの為に作るんだ、とばっちゃが言ってた。
「「箇条書き」は、箇条に書き出した要素、概念感のあいだに「論理(ロジック)」をつくったり、「ストーリー」をつくったりすることができないのです」
これはその通りだなあと思う。
なるほどと感じる面もあるけど、一方で米国では「Bullet Points(ビュレットポイント)と呼ばれる“箇条書き"」が重視されるという話もあって、「アウトプットの形式」の問題ではなくて、論理的思考の基礎をどう学ばせるかの方法論の違いなんだろうな。
僕は箇条書きを以下の2つの場面で使います。

①難解な文章を読むとき、箇条書きにして、論点を整理して理解の助けにする。
②文章を書く前に、書きたい内容を全部並べて、優先順位や流れ(根拠から結論)を確認する。

つまり、いずれも箇条書きをツールとして使ってます。
グサグサグサ。最近痛烈に感じていること。
いや、箇条書き=思いついたまま羅列でいいんだけど…。通常の箇条書きってunordered listだから。順序が必要なら別の表現すればいいわけだし、概念間の包含関係や論理を表現するならlistでも別の型式の表現すりゃいいだけ。別に「文章」にする必要ないし。
「「箇条書き」は、箇条に書き出した要素、概念感のあいだに「論理(ロジック)」をつくったり、「ストーリー」をつくったりすることができない」
意図はなんとなく伝わるけど、思いついたままを「羅列」したものを、概念間の包含関係、論理などを考慮せず文章にした感じがするな。
人の心に響かないというのは、わかる気がする
1番良いのは、箇条書きで伝えたいことを明確にして、
根拠や理由を文章で書く。
すると分かりやすいし、納得できる。 / (...
野矢茂樹教授も言われるように論理は接続詞に否応なく現れる。
順接・逆接という論理の類、整理(「かつ」「まず」)・理解(「つまり」「例えば」)、展開(「このように」)等々。字数の限られたメディアでは接続詞=論理を略す。新聞の短文コラムや、Twitterはそれが顕著。
「箇条書きしたドキュメントをもってきてもらい、僕の頭の中で「再構成」してしまえば、僕としては文章を読むよりも楽なのですが、それで動くのは「僕の頭」であり「学生の頭」ではありません。」なるほどー
箇条書きにすると書くコストはとっても下がっていいんですが、思考力を使わないと言われたらそうかも。でも書くスピードが落ちるんだよなー
最近パワポで構造化した資料見せても箇条書き的な読み方して曲解されることあるし文章読ませた方が楽じゃない?って思う時がよくある(でもわからんめんどくさいって言われる
洗い出してから分類するっていう順番にやらないと、上手くならないと思うんだけどなぁ。箇条書きできないことは文章にもできない派です!
これ、逆だと思うけどなあ。
お願いだから、箇条書きして論点を簡潔にまとめた上で優先順位をつけてくれ、と思うことだらけですよ、私は。(^◇^;)
ネガティブなブックマークコメントついているなぁ。「箇条書き」ばかりしていると「きっちりと他人に説明しきる」能力が身につかないのは確かだと思う。プレゼンで箇条書きがOkなのは口頭で補えるからというのが私の認識。→
中原先生どうしちゃったの…?
文章が書けないクライアントさんには言いたいことを箇条書きにしてもらって、私の方で文章作成することもよくあるんだけど、ダメなんかね。
おもしろい! そして、大変せんえつながら、ちょっとわかります。
文章や式(図式、数式)は最終成果物、箇条書きは中間成果物という意識づけが重要。あれこれ考える切り口として箇条書きを使うのは良いと思う。 / 「箇条書き」ばかりしていると「頭が悪くな...
関係ないけれどシェアボタンがFbしかないの、そういう層向けって発送なのだろうか>
長々と文章が羅列されてるのもどうなのと思うよ。
「箇条書きにしなくても頭悪くなっちゃう」ことを実証しているかのようなアイロニー溢れる記事
「パワポを禁止する企業がある」理由のひとつと同じ。説得力があるように見えるけれど、ロジカルでなく「なんとなく」を超えない: :
逆説的ですけど、頭の中のロジックがちゃんとしていると、綺麗な箇条書きが書けるんですよね。学生の頃のノートは主に箇条書き+関連性の矢印で書いていたけど、自分の中で流れを消化できていない事項のノートは後から見ても理解しにくかった。 /
「ストーリーを組み立てるため」にpptなどを避けて文章で説明させるのはそうだなーって思うけど、箇条書き否定はちょっと違うかなと。社会に出たときは「箇条書きでまとめ」て「文章にしてストーリーを組み立てる」力が必要。意外と箇条書きでまとめられない人は多い。
この人自身が読点使い過ぎで文章読み難いし、今の時代にまだ「ぢゃ」なんて使ってたりするってことは箇条書き無くしても頭悪くなる事は変わらないみたい
私は箇条書きするときは、心のなかで接続詞を思い浮かべるようにしてる。「だから」なのか「しかし」なのか整理は必要。/
“「箇条書き」は、箇条に書き出した要素、概念感のあいだに「論理(ロジック)」をつくったり、「ストーリー」をつくったりすることができない”
思考のトレーニングにならないから、だそうで。
思考のトレーニングというか・・・因果関係が見えにくくなるとは思う。
年表みたいに時系列踏まえてれば別だけど。
確かに。✅
むしろ、それのみを見た場合の主な用途は、考えなくてよいためなので
そうするためにそうするのは正しくて、
箇条書きとストーリーやロジックとの関連性がよくわからないな

ほんとに思いつきならわかる
箇条書き(アウトライン)にできないことを人に伝える必要あるのか(芸術や趣味的なものを除く)
こういう考え方もあるのか
そもそも「頭が良い」なんて目指さなくて良いと思う。

なぜなら、基準が場面によってまったく異なるから。例えば多くの試験の時なら暗記力の多さが頭の良さだし、実務なら処理の速さだし。

置かれた状況に適応していけば良いだけで、そこで箇条書きが有効なら使えば良い。
『箇条に書き出した要素、概念感のあいだに「論理(ロジック)」をつくったり、「ストーリー」をつくったりすることができないのです。』
「箇条書き」は、箇条に書き出した要素、概念感のあいだに「論理(ロジック)」をつくったり、「ストーリー」をつくったりすることができない」
思考を整理する段階で箇条書きすることはあれど、文章に起こしてるとその経過で気付くことも考えることも色々あることは確か。
アマゾンが社内文書は箇条書きではなく文章で書かせるってどっかの本で読んだけど、こういうことだよね。
アイディアメモをもとに文章を書き起こそうとすると、論理破綻に気がついたり、実は複数の主題について考えていたことがわかったり、結局なにが言いたいのかわからなくなったりして、メモからどんどん離れていくことがある。
つまり、そういうことかな。
私もこのように学生に指導してるけど、「箇条書きしなさい」と指導する教員がいて困る…
問題を思いついたまま、それらの関係や、そこに駆動するロジックやストーリーをほとんど顧みないままに羅列して「なんか、よく考えたなー、今日頑張っちゃったなー」と勘違いすることが習慣化します…
自戒します。文章化や思考の立体化みたいなのは意識しないとついつい怠りがちですよねぇ。>
以上

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