なぜ人間は他人のために動くか 人に埋め込まれた「利己」と「利他」:朝日新聞デジタル

ツイッターのコメント(11)

興味を持ちました.

【見知らぬ他人と何時間も一緒にいられるヒトは、かなり特殊な動物で、「自己家畜化」の産物ともいえます。野生動物を飼いならし、攻撃性を減らして家畜にしたように、ヒトは自分自身を飼いならし、家畜化しました。だから他人と共存できるようになった】
記事の中に「あまり同質性を上げると、集団が発展しなくなる」という文言がある。今の日本はあまりにも同質性すぎて発展が止まるというか退化していると感じる。容姿ではなく考え方。他人との違いを見せないようにするあまり、自己を見失っていると。皆、違うんだけどね。
「見知らぬ他人と何時間も一緒にいられるヒトは、かなり特殊な動物で、「自己家畜化」の産物ともいえます。野生動物を飼いならし、攻撃性を減らして家畜にしたように、ヒトは自分自身を飼いならし、家畜化しました。だから他人と共存できるようになった」
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興味深いテーマだけど、
わたしはあまりこういう点はあえて掘り下げない。

ラグビーで言えば味方からパスが来たらまたパスするでしょ、その連続じゃないかと。
人間関係も。社会も。
三者三様、とても興味深いインタビュー…多様性と利他の関係は、特に、なるほど、と思いました。
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ヒトのように、血縁ではない個体を組織的かつ積極的に教育するという行動は、他の種ではほとんど見られません。ヒトが「教え好き」の性質を持つようになったのは、利他的な集団をつくるための進化ではないかと考えています。(自然人類学者の小田亮さん)
やはり多様性の重要性がここにも。
 人に埋め込まれた「利己」と「利他」
小田亮さん 「他の生物でも利他的な行動は見られますが、ヒトは、血縁ではない相手も助ける、頼まれなくても助けるという点で特異です。チンパンジーは、相手に要求されて助けることはあっても、自発的に助けようとはしない。ヒトは、道で倒れている人がいれば助ける」
人に埋め込まれた「利己」と「利他」
以上
 
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