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75年前の「自粛警察」 私はパーマの女性に石を投げた [戦後75年特集]:朝日新聞デジタル

 太平洋戦争末期の、ある日。宇都宮市内で、国民学校から友達と下校していた生井弘明さん(86)は、若い女性の2人連れを見つけた。 1人は、明るい色調の和服。特に目を引いたのが、ウェーブがかかった髪だ。き…...

ツイッターのコメント(51)

「75年前、今よりはるかに苛烈(かれつ)な夏があった。『あの夏』を知る人たちは、この夏をどんな思いで見つめるのか。」
いつの世もマイノリティは迫害の対象
太平洋戦争末期の、ある日。宇都宮市内で国民学校から友達と下校していた生井弘明さんは若い女性の2人連れを見つけた。1人は明るい色調の和服。特に目を引いたのがウェーブがかかった髪だ。きれいに撫付けられていた→
私はパーマの女性に石を投げた。

「国が呼びかけた通りに生活様式を変えたり、日常生活で振る舞ったりすることを通じて、異論を持たない心のようなものが培われていないか。
過去の歴史を振り返って、考えてみてもいいのでは」

その通りだと思う。
「パーマって、不要不急で自己満足のものですよね。でも、いつ死ぬか分からない中で日常を保ちたいという本能までは抑えられなかった」

いつの時代も「不要不急」攻撃から始まるんだ……自戒を込めて
「ざまあみろ、と。『ぜいたくは敵』と言われていたし、ぜいたくしたくてもものがない時代。パーマなんてとんでもない、と思っていたから……」今になって思う。「申し訳ないことをした」
昔から変わらず日本的。シャーデンフロイデってやつ。 /
人を罰しようと思うココロって、、、
「国が呼びかけた通りに生活様式を変えたり、日常生活で振る舞ったりすることを通じて、異論を持たない心のようなものが培われていないか。過去の歴史を振り返って、考えてみてもいいのでは」と一ノ瀬教授は話す。
「統制が徹底できなくても、国民の相互監視を利用して『表立って政府の方針に異論を唱えられない』状態を作ることができれば、目的は達成できた」
うぇぶにあった。ウェブ版の見出しは好きでないけども…。
@sasakakamomot0 安倍自民や維新に刃向かえば、たむろしてクソリプの石を投げる...、か。😔
一ノ瀬先生の「統制が徹底できなくても、国民の相互監視を利用して『表立って政府の方針に異論を唱えられない』状態を作ることができれば、目的は達成できた」は全くその通りと思いつつ、同時にヤミでパーマをやるバイタリティが印象に残ります。
75年前に自粛警察煽ってたのも朝日新聞だっただろ。数ヵ月前と同じくな
で同じ空気が流れてるのを忘れてはならない。

75年前の

「いーまは節約時代。パーマネントはよーしましょー」とはやし立てる2人が走り出した。小石ぶつけたら1人が転んだ。歓声をあげる少年たちに、2人は何も言い返せず
不要不急ってまさに戦時下と同じことをしていて、そしてそれぞれが自分の判断で生きるしかないことも共通してある。
朝日新聞は加害者側ではなかったのかい?
私はパーマの女性に石を投げた。「パーマだ」。当時、男性は国民服、女性はもんぺ姿の人が多かった。少年たちは「ぜいたくだ、こらしめよう」と思い立った。
めっっちゃ良い記事だ。

「パーマって、不要不急で自己満足のものですよね。でも、いつ死ぬか分からない中で日常を保ちたいという本能までは抑えられなかったのでしょう」
漫画「あすなろ坂」主人公が友人と子供達と動物園へ。友人は長髪をカールして自作のワンピースでオシャレ。周囲に「戦時中に贅沢だ」と咎められ「パーマじゃなくてコテ。服はカーテンで作った」と堂々と反論する場面が
世界がどんな状況になろうとも常に圧倒的に需要があるのが美容院。それを狙ってビジネスする連中も多いからな。
75年前の「朝日新聞」 戦争を扇動した
新聞社の戦争協力(wikiより)
・肉弾三勇士の歌(朝日新聞)
・アッツ島血戦勇士顕彰国民歌(朝日新聞)
・他、毎日新聞も
天パの人は、どうしてたんだろうか?
この記事興味深いのはここ→”宣伝しなくても、客は途切れなかった。両親の会話から「今は大っぴらにパーマ屋をやっちゃいけない時なんだ」と感付いていた古池さんは、「よくこんな時にお客さんが来るなあ」と、不思議だった“
同調圧力をなんとも思わない人もいた
節電アフロは元気だろうか?
面白い、今のマスクや外出自粛にも通じる所があるのかも。公権力がみんなの生活様式に介入する時、その精神も改造されるかも知れない事は理解しておこうと。
《75年前の「自粛警察」》 まさにこの見出しの通りだ。《「いーまは節約時代。パーマネントはよーしましょー」とはやし立てると、気づいた2人が走り出した。小石をぶつけたら1人がつんのめって転んだ。歓声をあげる少年たちに、2人は何も言い返さなかった》
こういう時代にしてはいけない。
75年前の「自粛警察」

>それでも、パーマはなくならなかった。
>自宅の闇パーマ屋は、宣伝しなくても客は途切れなかった。
うちのママちゃんは疎開先で言われたと言ってたなぁ。クセ毛なのに。
同調圧力は恐ろしい
天パの人はつらかったやろな> 「パーマネントのお方は当町通行を御遠慮下さい」と記した看板が町に出されたり
良い記事だった
なるほどこういう話を読むと、戦争末期にあの華美な『細雪』を書いたのは、谷崎なりの戦争への抵抗だったことがよくわかる。
引用:戦時中の社会史に詳しい埼玉大学の一ノ瀬俊也教授は、日中戦争が始まったのを受けて政府がパーマの禁止など市民生活のこまかい統制に乗り出した背景について「総力戦を戦うにあたって大義名分があやふやだった日中戦争に対し、異論が出ない空気を作りたい(続
「パーマの人は当町通行禁止」……。それでも「闇パーマ」が営業しつづけ、客は引きも切らなかった。国民精神総動員運動が人々を深く傷つけながらもなお、決して美の追求を殺しきれなかったように、「改憲運動」もまた「戦後的価値」を殺すことはできないで終わるだろう。
『パーマは日中戦争が始まった後、「ぜいたく」「華美」などとして、目の敵にされた。』
今、「新しい生活様式」という言葉が不吉に響く…。

〈「パーマって、不要不急で自己満足のものですよね。でも、いつ死ぬか分からない中で日常を保ちたいという本能までは抑えられなかったのでしょう」〉(大塚良江氏)

/75年前の「自粛警察」:朝日新聞
どこの時代にもいるんだよなぁ、自分の考えが絶対正義だと思い、他人に強制する輩が。
この記事では、クソガキだが、今の日本ではいい歳したオッサンがこうだから困る
「パーマだ」。当時、男性は国民服、女性はもんぺ姿の人が多かった。少年たちは「ぜいたくだ、こらしめよう」と思い立った。「いーまは節約時代。パーマネントはよーしましょー」とはやし立てると、気づいた2人が走り出した。小石をぶつけたら1人がつんのめって転んだ。
"パーマは日中戦争が始まった後「ぜいたく」「華美」などとして、目の敵に"
"「呼びかけ」ではあったが、警視庁は美容業者に自粛を求めた""「パーマネントのお方は当町通行を御遠慮下さい」と記した看板が町に出されたり、美容院が嫌がらせされたりもした"

今と同じことが…
"「パーマだ」。当時、男性は国民服、女性はもんぺ姿の人が多かった。少年たちは「ぜいたくだ、こらしめよう」と思い立った。"

このスムースな「思い立ち」が全てであり理由も動機も何もなく思い立つところがつまり反社会的ではないということだ
「ヤミ」のパーマ屋があったのか。→
「パーマネントのお方は当町通行を御遠慮下さい」美しい国。この時代でも西洋音楽を続けていた人に頭が下がります。(軍楽隊の西洋楽器は?) >
(有料)パーマ自粛警察もいれば闇パーマ屋もいたという。
パーマの女性二人を見た少年たちは…「「いーまは節約時代。パーマネントはよーしましょー」とはやし立てると、気づいた2人が走り出した。小石をぶつけたら1人がつんのめって転んだ。歓声をあげる少年たちに、2人は何も言い返さなかった」
「七十五年前的『自肅警察』 我對燙髮的女人投了石」

人心過了七十五年都不變呢。。。
敵性言語の禁止とかも民間だよな。
実際は、製造業や軍とか普通に使っていた筈だったな。(専門用語的な意味で)
太平洋戦争末期の、ある日。宇都宮市内で、国民学校から友達と下校していた生井弘明さん(86)は、若い女性の2人連れを見つけた。
以上
 

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