「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す - 石川智也|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

34コメント 2021-08-15 09:16|論座

ツイッターのコメント(34)

国家間の紛争で絶対的な正義はなくむしろそうであるように戦略的に行動しているだけだ.むしろ自国民を拷問する国家に正義はなく信用もされない
検証‼️😢😭

九大医学部が事件現場現キャンパスで関連資料を初めて公開したのは戦後70年の年・・「国家の犯罪・総懺悔」などという総括ではなくいつだれがどのような動機でそれを決定し実行したのか個々の役割の軽重はどうだったかを不断に検証することの意義は失われていない
「仕方がなかった――」コロナ禍での在宅放置死も全く同じ構図です。この1年間、政府や東京都は何をしていたのでしょうか。この夏の異常事態を単なる歴史にしてはいけない。在宅死亡させた責任は大きいが、未だに入院出来ない重症者がいる事も忘れてはいけない。
- 石川智也

この記事は有料ですが、途中まででもとても興味深い考察が書かれています。

この「責任の取り方」が改善されないまま現在まで来てしまった感はありますね。
劇作家・古川健が描き出す「組織と個」
(この記事は有料?
記事より)丸山眞男が「無責任の体系」と名付けた宿痾がなお日本に巣くい続けているのは、社会構造や日本人の心性の問題などではなく、おそらく、この戦争責任の追及の問題に大きな原因がある。

戦争責任  - 石川智也
「仕方がなかった」で万事片付けられ
「何があったのか」を明らかにしない日本人の体質
「人間は片肺を取っても生きられる」。誰かがそうつぶやいた。血液を抜かれ、代わりに海水を輸液された米兵は、二度と目を覚ますことなく、絶命。
「仕方がなかった」といって
責任は回避出来ず、
「責任はすべて私にある」といって
責任は取れない。
作為には責任を認めながら、
不作為には目を閉ざす。
作為には責任が伴う。
これ故の不作為は弱い我々に蔓延る。
弱さでは免責されぬ。
この不作為の問責は幾重にも重い。
朝日が全てを台無しにする。
(ここで観客は否応なく、似たような言葉を繰り返した政治家がいたことを思い起こすことになる。

- 石川智也|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
安保法案採決の過程で安倍政権の支持率が前月を下回った。それを見出しにとったら『下回る』の表現は削れと指示された。従わず、その後も政権寄りの表現を排除し続けたらコールセンターに異動になった。あの時踏ん張れたからこそ今の自分があると思う。仕方ない、なんてダメだ
開戦したのは戦争に賛成した国民が多数だったから。新聞も、戦争を煽れば新聞が売れるから、開戦を煽った。しかし、敗戦後は、ほとんどの人が、そうした過去を隠し「自分も戦争の被害者」「戦争には反対だった」とウソをついている。非常にタチが悪いと思う。
ずーーーーーっと永遠にこんな責任がーーーーーって言い続けるの?
他者との共存こそ責任論の出発点。人間である時点で組織人であり、組織人だからこそ普遍的倫理がある。善は凡庸であり悪となる。
劇作家・古川健が描き出す「組織と個」を石川智也記者が読み解きます。

「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す - |論座 -
録画してみました。主人公の立場に立たされたとして、果たして正しい行動を取ることができたであろうか…。時代を繰り返させてはなりません。
日本の戦争については、書けば書くほど、もっと書かなければならない、という強迫観念に襲われます。調べれば調べるほど、いまの日本につながる
仏教を学び始めた時、「自覚」の問題だと教わった。外に原因を探しがちな私たちだが、常に内側に目を向けなければ解決しない。「主体的」に生き、真に「ひとり立ち」するということが実はとても難しい。
このドラマ、良かった。
相変わらず透明性のある石川さんの文章。が、所々に棘が仕込まれている。ぜひ、ご一読を。
戦争を煽った新聞と日本放送協会の、自省と責任の処し方。そのぬるさが与えた影響も極めて大きいと思う→
15日放送だと思ってテレビ欄探していたら、13日だった。
戦争もコロナも
「責任はすべて私にある」という
魔法の言葉で実際には何もしない
リーダーたちの問題点

「 九大生体解剖事件から問い直す」
これみた。よかった。
「仕方がなかった」というマジックワードが曖昧にする、戦争責任の問題
「国家の犯罪」「総懺悔」などという総括ではなく、いつ、だれが、どのような動機でそれを決定し、実行したのか、個々の役割の軽重はどうだったのかをしつこく検証することの意義は。
#九大生体解剖事件
当時の日本国民は殆ど全員戦争に協力した❗️その時国民学校生徒であった自分自身をも含めて‼️
「日本の戦争については、書けば書くほど、もっと書かなければならない、という強迫観念に襲われます。調べれば調べるほど、いまの日本につながる要素が見えてきます。楽観的な判断が、現実にどんどん裏切られていく、そういう一つ一つの過程をきちんと…
マジックワードが問題としても、この国はもともとマジックワードが発生する言語体系の中に生きてるわけだしな。
「楽観的な判断が、現実にどんどん裏切られていく」。コロナ五輪の惨憺たる結末。あの戦争と全く変わっていない。
「仕方がなかった」に相当する表現は、たとえば英語でも「It is what it is.」「I had no choice.」などがある。だが、日本語の「仕方ない」の、主語が霧消してしまったかのような、諦観とニヒリズムを含有したニュアンスとは違う。この言葉は、戦争責任とどう絡むのだろうか
以上
 
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