「仕方がなかった――」万能の言葉が歪める戦争責任 九大生体解剖事件から問い直す - 石川智也|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

「仕方がなかった――」コロナ禍での在宅放置死も全く同じ構図です。この1年間、政府や東京都は何をしていたのでしょうか。この夏の異常事態を単なる歴史にしてはいけない。在宅死亡させた責任は大きいが、未だに入院出来ない重症者がいる事も忘れてはいけない。

- 石川智也
この記事は有料ですが、途中まででもとても興味深い考察が書かれています。
この「責任の取り方」が改善されないまま現在まで来てしまった感はありますね。
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この「責任の取り方」が改善されないまま現在まで来てしまった感はありますね。

劇作家・古川健が描き出す「組織と個」
(この記事は有料?
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記事より)丸山眞男が「無責任の体系」と名付けた宿痾がなお日本に巣くい続けているのは、社会構造や日本人の心性の問題などではなく、おそらく、この戦争責任の追及の問題に大きな原因がある。
戦争責任 - 石川智也
戦争責任 - 石川智也

「仕方がなかった」で万事片付けられ
「何があったのか」を明らかにしない日本人の体質
「何があったのか」を明らかにしない日本人の体質

「人間は片肺を取っても生きられる」。誰かがそうつぶやいた。血液を抜かれ、代わりに海水を輸液された米兵は、二度と目を覚ますことなく、絶命。

「仕方がなかった」といって
責任は回避出来ず、
「責任はすべて私にある」といって
責任は取れない。
作為には責任を認めながら、
不作為には目を閉ざす。
作為には責任が伴う。
これ故の不作為は弱い我々に蔓延る。
弱さでは免責されぬ。
この不作為の問責は幾重にも重い。
責任は回避出来ず、
「責任はすべて私にある」といって
責任は取れない。
作為には責任を認めながら、
不作為には目を閉ざす。
作為には責任が伴う。
これ故の不作為は弱い我々に蔓延る。
弱さでは免責されぬ。
この不作為の問責は幾重にも重い。

朝日が全てを台無しにする。

「責任はすべて私にある――それは魔法の言葉ではないですよ」
(ここで観客は否応なく、似たような言葉を繰り返した政治家がいたことを思い起こすことになる。
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(ここで観客は否応なく、似たような言葉を繰り返した政治家がいたことを思い起こすことになる。
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安保法案採決の過程で安倍政権の支持率が前月を下回った。それを見出しにとったら『下回る』の表現は削れと指示された。従わず、その後も政権寄りの表現を排除し続けたらコールセンターに異動になった。あの時踏ん張れたからこそ今の自分があると思う。仕方ない、なんてダメだ

開戦したのは戦争に賛成した国民が多数だったから。新聞も、戦争を煽れば新聞が売れるから、開戦を煽った。しかし、敗戦後は、ほとんどの人が、そうした過去を隠し「自分も戦争の被害者」「戦争には反対だった」とウソをついている。非常にタチが悪いと思う。
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九大医学部が事件現場現キャンパスで関連資料を初めて公開したのは戦後70年の年・・「国家の犯罪・総懺悔」などという総括ではなくいつだれがどのような動機でそれを決定し実行したのか個々の役割の軽重はどうだったかを不断に検証することの意義は失われていない