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「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治 / 亀井伸孝 / 文化人類学、アフリカ地域研究 | SYNODOS -シノドス-

265コメント 登録日時:2015-02-25 07:06 | SYNODOS(シノドス)キャッシュ

シノドスは、ニュースサイトの運営、電子マガジンの配信、各種イベントの開催、出版活動や取材・研究活動、メディア・コンテンツ制作などを通じ、専門知に裏打ちされた言論を発信しています。気鋭の論者たちによる寄稿。研究者たちによる対話。第一線で活躍する起業家・活動家とのコラボレーション。政策を打ち出した政治家へのインタビュー。さまざまな...

Twitterのコメント(265)

2/11は、ネルソン・マンデラ解放の日。29周年になります。
そして、よりによってその記念日の朝、ある新聞がある作家の、アパルトヘイト容認コラムを載せた日でもあります。4年前のことでした。
@wowwowyeahyeah9 →火が怖いのか、家や家具が消化の影響を被るのが怖いのか、です。因みに、人種差別における差別と区別に纏わる、歴史的にどういう経緯や戦いの末乗り越えてきたかについて、かつて曽野綾子氏が物議を醸しだした件での、歴史を基にした論考がありますので参考までに。
@yoko4449 いや、だからそのアカデミックな議論が、黒人差別を肯定しているケースがあるんですが。
"自他の文化の本質的な差異を強調し、それを承認しようとする、一見して「良心的で、多様性に対し理解を示す」言説が、隔離政策を正当化し、異論を封じ込める"
とても重要な論考だと思いやす。
「差異を承認しつつも、その差異を越境する自由は、あらゆる人間の基本的な権利だからである」
この表現すごいな。批判的な意味で。

"「同化」を強要しないスタンスが、「隔離」という別の差別を生む温床になってきた。"
"
昨年の曽野綾子氏のコラムの検証。なるほど。
“南アフリカのアパルトヘイト撤廃と手話公認の二つの歴史は、多言語・多文化の共存をはかろうとする私たちにとって、得がたい重要な先行事例であり、学ぶべき教科書である。” / “「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差…”
アパルトヘイトは日本社会の日常にも潜んでいる、という話。
「少数者たちが差異をそなえたままでありながらも、主流社会とつながり続ける。そのための居場所をともに新たに創ろうとする努力」 / / …”
南アフリカの話に絡めて、手話の話や、ろう者と社会がどうつながるかという話も出てきます。
この記事を読んでから「少数言語を守ろう!」って安易に言えなくなった。
何となく「差別はいけない」とだけ知ってて、いつの間にか差別的なこと言ったりしてないか不安に思いつつやり過ごしていると「差別は悪くない」っていう欺瞞に目から鱗してしまったりするので勉強は大事
「文化の差異を承認することを、隔離の口実にしてはならないし、また、結果として隔離の事態を招くこともあってはならない。差異を承認しつつも、その差異を越境する自由は、あらゆる人間の基本的な権利だからである。」⇒
これは勉強になる。少数者に対し同化か隔離かを迫るのではなく、主流社会こそが変わらなければならない。/
欧米の非白人移民とアフリカの白人移民とで同化にしろ隔離にしろ方向が逆になることに疑問を呈さないなら、どんな立派なことを言ってもだめ。わたしは一切理解しない。
> 「もしも、主流社会がそのあり方を変えることがないならば」
 > 「近寄っても地獄、遠ざかっても地獄」の二択

「文化が違うから分ければよい」のか ―
同化でも隔離でもなくか。論理的に明確で勉強になる。
"「同化か/隔離か」の二択を迫る踏み絵を行うのではなく、主流社会こそが率先して変わる努力を常に伴わせる。"
日本の文脈をきっちり踏まえた良記事です。ぼくからもおススメ。/
2/11、あの産経新聞 コラムから1周年です。よろしければ再読いただき、共存のために思いをめぐらせていただければ。
実際問題としてこんな複雑な話を万人に課してまで実施すべき事ではないのではないかね、移民政策は。
@fluor_doublet @y_tambe 亀井伸孝さん、曽野綾子氏が産経新聞でアパルトヘイトを肯定するようなコラムを書いた時には理路整然と反論しておられた(のでフォローした)ので、ノーベル賞剥奪云々のツイートは意外な感じです。
んで思い出したのがこの論考ですよ。本当に良記事。
主流派でも非主流派でも、変わることにはすごくエネルギーを要するだろうなぁ。
人との付き合い方についてヒントがあるかも。あとで読む。/
「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治・ 『この人物の関心は、たえず「肌の色」ではなく、「文化」の側面へと向かっている。これは、一見、リベラルでものわかりのよさそうな言説に見える。』続
鯵のひらきが大好物で貰った土産を家まで待ちきれず車の中でライターで炙らせ貪り食べた女流作家(野坂昭如)って違いますよね?
これはものすごくわかりやすい。受け容れないという事の問題がよく分かる。//
あわせて読みたい文化の隔離について。
差別のデパート「曽野綾子コラム」は
その差別性において、差別の本質を
学ばせてくれる。


「文化が違うから分ければよいのか」
「少数者たちが差異をそなえたままでありながら主流社会とつながり続けるための居場所を新たに創ろうとする努力は、少数者のみに課せられた責務ではない。主流社会こそが、その変化のために汗を流すべき」
【「文化が違うから分ければよい」のか 】
さっきの記事内にもリンクされてるけど興味深かったので個別でもツイしとく。
「この綱渡りのような繊細な作業を通じてこそ、初めて、文化の差異の尊重と、それを相互に越境し合う自由が両立するものと考える。」
/ SYNODOS
「強いられた自文化の実践」このフレーズを心に刻みつけておこう。 >
すごいな。これは力強い論攷だ。そして「私はどうしてこれを力強い論攷だと主持ったのだろうか?」という疑問をどこかで総括したい、【「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治/亀井伸孝】
ああこの論考は素晴らしい。
曾野綾子の例のコラムがなぜダメか、アパルトヘイトの成立に触れつつ考証した、文化人類学者、亀井伸孝の分かり易い論考。  と、それを紹介した荻上チキのブログエントリー。
特に第二の誤謬は私の中でも危うい部分で、すごく考えさせられた ***
めっちゃおもしろい記事だった。差別への批判が逆方向の差別に利用される危険性を持っているんだねぇ。
おお、亀井さんがSYNODOSに記事を書いている。
必読するべき論考、現代日本でも同じような動きは存在し、なぜ人々が善意で持って差別するのかを説明。
曽野綾子の暴言に対する的確な異論。この文章の「第二の誤謬」にこそ我々は陥らないよう注意したい→
「曽野綾子氏が『新潮45』にて、産経コラムの一件を「愚痴」っていた - 荻上式BLOG」 「「文化が違うから分ければよい」のか| / 亀井伸孝|シノドス」
差別と反差別に関する肝要のポイントが丁寧に説明されています。⇒「差異を承認しつつも、その差異を越境する自由は、あらゆる人間の基本的な権利だからである。」
荻上チキ氏のブログ( )にリンクが貼ってあったので読んだんだけど、非常に勉強になった。/「
亀井伸孝」
「曽野綾子コラム問題」に対するきわめて優れた論考。勉強になりました。
長いけど必読。差異の承認を差異の隔離にすり替えさせてはならない、という話
"なぜ、少数者は、主流社会との距離において「近寄っても地獄、遠ざかっても地獄」の二択の立場に立たざるをえないのだろうか。"
引用〈デタラメ手話のニュースを世界に対して発信したのは、他ならぬ南アフリカのろう者たち自身であった〉 /【SYNODOS】「文化が違うから分ければよい」のか
「そもそも、『人種』自体が、近代になって構築され、強化された概念である。ヨーロッパによる非ヨーロッパ世界の搾取を正当化する、科学的な装いを伴った言説としてもてはやされ、定着した。」
先月の曽野氏によるコラムについての論説。丁寧でわかりやすい。
うっかりすると陥りやすい差別の罠、自覚を持たねば…。


▼曽野綾子氏、抗議した南ア大使とニュース番組で論戦
@TaekoEndo まだ、差別と区別の違いを主張していますね。南アフリカでは文化の違いによる区別がアパルトヘイト推進の口実に利用されたことも知らずに大恥をかいている。
(引用1)なぜ、少数者は、主流社会との距離において「近寄っても地獄、遠ざかっても地獄」の二択の立場に立たざるをえないのだろうか。 | -
アパルトヘイトをから学ぶ差別。長めですが、参考になりました。「差異を承認しつつも、その差異を越境する自由は、あらゆる人間の基本的な権利」>
「文化が違うから分ければよい」のか
読むべき記事。アパルトヘイト成立が前近代的な差別とは逆の発想も含まれていた事が衝撃。この論理はこれからの日本で何度も目にしそう。/【SYNODOS】アパルトヘイトと差異の承認の政治/
なるほど!→
価値相対主義は文化人類学ではかなり古い考察。全て受容できるかと言えば無理だし、(例:人の顔にツバを吐きかけるのが最高の礼儀という文化は大半の文化では受け入れられない)、こういう落としどころになる。 / “「文化が違うから分ければよ…”
差別には同化させる方向と隔離する方向がある。慎重に慎重を重ね、差異の承認とつながりの確認の両方を進めていく努力が必要と。大事なことが書いてある記事。/
最強のアンテナサイトができました!
を書かれた亀井伸孝さんも宇宙人類学研究会のメンバーですよ。宇宙クラスタな皆さんも読んでね。
@jinrui_nikki とてもわかりやすく、これ以上明快な批判はないだろうと感じました。それだけでなく、差別とは無邪気なものであるがゆえに気付きにくいのだということも教えていただきました。
@jinrui_nikki: >> ”

人類学者の観点から、多文化共生の正しさをお説教下さった文章。異文化の人同士が居住区を一にするのは困難だ、という主張を「アパルトヘイト容認だ」と断罪しているだけのゴミ論文。ご苦労さん。
〈「文化が違うから分ければよい」という…言説が…「文化的に同質な人たちと一緒にいたい」という素朴な心情に訴えかけ、動員しようとする点において、より悪質〉/「文化が違うから分ければよい」のか―アパルトヘイトと差異の承認の政治/
あとで読む。
良記事。これぞ専門家による批判と感じた。 @jinrui_nikki: シノドス寄稿から3日余り。多くの反響に身の引きしまる思いです。「食卓で家族とアパルトヘイトの話をしました」といった反応はとてもうれしかった。
文化人類学が苦い「肯定」を生み出してしまったことを、今一度彼は忠告している。これ、今いろんなとこで言える。
例の曽野綾子氏一連の発言。ワナに引っかかってはいけない。。同種のことって他にもあるなと。。
曽野コラムの本当の危険性は「文化による人々の分離」の提唱。一見文化的差異を尊重してそうで共感を呼ぶが行き着く先は自文化の実践の強要。南アの隔離政策はそうして定着した
:問題の整理が的確でわかりやすい。後半では解決に向けての方向性を示している。分かるのだが難しい。
シノドスに載る文章って質が高いの多いけど,これは中でも秀逸。
分離も同化も差別になりうること。分離発展という罠。制度上はもちろん,事実上の強制性も問題。
素晴らしい良コラム。日本社会に一番欠けているものを分かりやすく説いている。
きちんと書いてくれてありがとうございました。 "@jinrui_nikki: 「研究者はこういうふうに理詰めで怒るのか」「もやもやが言語化されてありがたい」なども。>> "
「同化型」差別と「隔離型」差別の二律背反的問題にどう対処するかについては、もはや、人知の枠を越えている気がする、権利や待遇について、肌の色、宗教、何にせよ関わらず、差別を禁止することにつきるのではないか
“違いを認めよう”を差別が巧妙に利用している現代社会、というお話。
少し長いけど、絶対に読んでおくべき文章。/
自分と違っているものを受けとめる時、認める/認めないという感情でもって、相手のことを裁断してしまう人たちを思い出す|主流社会が自ら一向に変わろうともせずに、少数者に対して一方的に「同化か/隔離か」の二択の踏み絵を強いている……
"主流社会が自ら一向に変わろうともせずに、少数者に対して一方的に「同化か/隔離か」の二択の踏み絵を強いて"
この記事結構重要なこと書いてて勉強になる↓
「文化が違うから分ければよい」のかーー 亀井伸孝/文化人類学、アフリカ地域研究
承前)文化による差別としての「同化」と「隔離」という、亀井@jinrui_nikki氏の視点は新鮮。日本は何だろうか。日本は文化的には似たり寄ったりなのだが、「同化」「隔離」による差別が根付いている。「文化が違うから分ければよい」のか
うああ、なんて素晴らしい文章。反知性主義に立ち向かう強力な論述。超オススメ。 ---
曽野綾子氏の例のコラムに対する文化人類学者の反論。
勉強になるなぁ。
人種主義には同化と隔離の2種類があり、非差別側は、どちらも不利益な2択を強いられている、と。
なるほど、これは注意が要るな。
「文化の差異を承認することを、隔離の口実にしてはならないし、また、結果として隔離の事態を招くこともあってはならない。」 /
曾野氏の釈明については亀井氏の⇒ で否定できるけど、当事者の南アフリカの抗議に読み手が悪いとは”品格”を疑わざるを得ないね
テスト勉強ちょっと休んで、これじっくり読んでください。
例の曽野氏のコラムについて。異文化共生を考える上で絶対に抜かせない視点がまとめられていると思う。
文化相対主義の罠に対する適切かつ真摯な警告。 /
【SYNODOS】「文化が違うから分ければよい」のか―アパルトヘイトと差異の承認の政治/
寛容な社会の達成の為には「同化」と「隔離」のどちらの差別にも寄らぬ、繊細な綱渡りが必要という興味深い話
亀井先生の批判は曽野氏には届かないかもしれないが、「一見、リベラルでものわかりのよさそうな言説」にうっかり乗っかってしまいそうな人にはきっと届く。
←ネットでただでこう言うのが読める幸せを感じた
よんだ :
「主流社会」が「少数者たち」を分割統治してあげる/あげない議論にみえる。「少数者」を分割すれば「分断だ!」という不満に、分割しなければ「少数者同士の争いを調停せよ!」という非難になる。 / “「文化が違うから分ければよい」のか――…”
「南アフリカは、世界に先駆けて憲法で手話を公認した国の一つとして知られている」。 /
重要。読むべし。 /
「黒人は基本的に大家族主義だ」「白人やアジア人なら常識として夫婦と子供2人くらいが住む」といった表現は、仮に、ある地域、時代の特定の社会階層の事例において、たまたまそういう人々が観察されたとしても、肌の色に還元して説明すべきことではない
じっくり読んだ。「第二の誤謬「文化による隔離」」というところに注目。「 / 文化人類学、アフリカ地域研究」
@midorihc
一読の価値あり。

寄稿しました。ご覧いただきましたら幸いです。

””
これは良文。一読の価値あり。
文化の差異を強調して異文化集団間の相互隔離を容認・推進することは隔離型差別の始まりである、と。
遅ればせながら読みました。すげぇおもしろい。>>>
今更だけど読んでおいた。わたくしの鈍い頭がキィキィ音を立てつつも、ぐるりぐるりと回転しました。
曽野綾子氏のコラムの件、まぁ曽野さんはもうどうでもいいとして、移民問題を考えていく上で文化人類学者の亀井伸孝氏のこの記事はとても興味深く、勉強になりました。 / “「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差…”
第1の誤謬はすぐにわかったんだけど、第2の誤謬がもやもやしていたので大変勉強になった。あと最後の著者画像がかわいいのが可笑しかった。cakes.muの「都市のゆたかさの本質」の方もこのくらいわかりやすく書いてくれるとうれしい
「文化が違うから分ければよい」のか…アパルトヘイトと差異の承認の政治: / 文化人類学 SYNODOS 「曽野綾子氏の産経新聞コラムには、第一の誤謬「人種主義」と、第二の誤謬「文化による隔離」の二つの問題点がある」…必読!
「「強いられた自文化の実践」、つまり、「差異の承認」を口実とした、主流社会からの強制的隔離」
「ゴール裏論」に通じるところがあるなと思いながら読んだ
先日の、産経新聞に掲載された曽野綾子氏のコラムに関して、ぜひこちらをお読みください。
“同質であることを少数者に要求する「同化型」の差別があるとする。これに対する反発として、同化からの解放を求める分離主義が生まれた場合、実はそれが「隔離型」の差別を招く結果となってしまうことがある“
ふーむ。差別主義の本質てこういうことなのか>
来年度の講義「他者と生きる技法」で取り上げようとしていた論点はほとんど亀井さんがカバーしてくれたので、長大多文化生はまず、亀井さんの論を理解できるようにくりかえし読んで予習しておいてください。ね。
「コラムには、第一の誤謬「人種主義」と第二の誤謬「文化による隔離」の二つの問題点がある。より危険なのは、第二の誤謬の方である」。それを見事に演じてきたこの回答。そんなことはお見通し、その手には乗らないと突きつける姿勢が必要だと思います
後半の手話文化も交えた論説を読んだ時のデジャヴ、ハンセン病問題等にも通じる内容だからだろう。 < / 文化人類学、アフリカ地域研究>
おお、これだよ、これ!「同化型」と「隔離型」!!息子の支援級選択の時考えたのはこういうことだった。
「文化による分離」とは悪質な隔離型差別の推奨。「差異を承認しつつも、その差異を越境する自由は、あらゆる人間の基本的な権利」→「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政治(亀井伸孝)
>フランスの社会学者タギエフ>人種主義には「同化型」>と「隔離型」>の2タイプがあり、一方の差別に対する告発は、もう一方の差別を容認し>Taguieff
文化人類学は、かつて南アフリカのアパルトヘイト成立に加担した過去がある
これはいい記事。きっちり詰めてる。
コミュニケーションという名の馴れ合いを良しとする日本では移民受け入れなんて無理なのではと思った
[シノドス]
「『同化』を強要しないスタンスが、『隔離』という別の差別を生む温床になってきた。」ここをどうするかよな。
日本も加入している人種差別撤廃条約において、人種等による「区別」は「人種差別」と定義されている。区別は差別です。
かなり面白かった 人種主義には「同化型」と「隔離型」があり、一方の差別に対する告発は、もう一方の差別を容認してしまう
[ / 文化人類学、アフリカ地域研究] とても良い記事でした。
たいへん丁寧で説得力のある論稿だと思う。一読いや何度でも繰り返し読む価値あり。「文化の差異の尊重と、それを相互に越境し合う自由の両立」にはぐっとくる。⇒「文化が違うから分ければよい」のか―アパルトヘイトと差異の承認の政治/
アパルトヘイトにとどまらず、手話などについても。 /
"「文化という枠組みを何らかの絶対的な根拠にしない」"曽野氏のコラムを読んだ後のもやもやが晴れた//
こういう事こそ『道徳』とかで教えてほしかったよなぁ /
必読。『「黒人には黒人の文化を」…異文化を尊重するふれこみで巧妙に強化されていった隔離の思想』|
わかりやすく書かれていて良記事。
とても勉強になりました。
「差異の承認と主流社会への受け入れ」について、主流社会がそのあり方を変えることがないならば「同化型」の差別への反発は「隔離型」の差別を招き、「隔離型」の差別への怒りは「同化型」を助長すると。

頭に置いておくべきことだなあ。/
これは良記事。
「アパルトヘイトは…20世紀に入って次第に強化され…近代国家における法に基づいた制度的な差別…この政策に対して文化面での装飾を施し、人びとを同意へと誘った役割を果たしたものの一つに、イギリス系の社会人類学(文化人類学)の存在があった」
こういう丁寧なモノの見方、考え方って大切ですね。キャッチーな言葉に踊らされててはなりませぬぞ。→◎
これはとても示唆に富んだ論考だ。差別について考える上で良質な入り口となり得る。是非読んでほしい
同化の強制による文化破壊も、隔離の強制による分断も、少数派にだけ責任を押し付ける多数派の傲慢だという話。学問がアパルトヘイトの正当化に使われてしまった事実があるというのは、自分も同じミスをやってしまいそうという意味で無視できない。
ようやく僕の視点に少し近い論考に出会えた。まさにその通りで、多様性の尊重を封じ込め政策に利用する流れには抵抗しなければならない。 / / 文化…”
これはすばらしい論評。
”実は、このコラムがはらむ危険性の本丸は、文化をめぐる「第二の誤謬」にある。こちらは、一見説得的に見えてしまうだけに、かえってその危うさに気付きにくい。” / “「文化が違うから分ければよい」のか――アパルトヘイトと差異の承認の政…”
「南アフリカで自身が見聞したと主張するわずかな事例を、何十億人にも上る世界の人びとに対して拡大適用し、生まれつきそなわった外見的特徴に関連させて決定論的な言説を振りまいたことは、文字通りの「人種主義」として非難に値する」
悪い奴らは天使の顔して……って感じだな。一見リベラルのように見える差別政策がアパルトヘイトなのね。今もこういう間違いはそこかしこにありそうだ / / 亀井伸…”
凄く勉強になりました。曽野の件で怒髪天になった人は是非/
だからあの曽根のおばさんみたいな考えって、その辺のおばさんも言いそうなことだし、僕らの感情レベルでは肯定しそうになる事だと思う。
そんな感情と対峙する理性の助けになるのがこういう知性なのだ。
「『文化が違うから分ければよい』というあまりにも無邪気な言説が、いかに暴力に満ちたものであるか、そしていかに歴史から学んでいないか」◆
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