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なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか? / 『暴走する能力主義』著者、中村高康氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-

32コメント 登録日時:2018-11-29 07:04 | SYNODOS(シノドス)キャッシュ

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Twitterのコメント(32)

"本書のモチーフとしては、改革病ともいえる現代の社会風潮への強い違和感があります"
学歴社会について
ぶっちゃけ暗記偏重なんて言ってるのは暗記が苦手な人か成績が悪いのは暗記が足りないせいだと思ってる人なんでは?
この記事のおかげで、もやもやが一つ解消した。引用:「知識の暗記・再生」とか「試験地獄」のような見方は、日本の入試や教育選抜の現状を的確にとらえていないといえるでしょう。
「「新しい能力」を求め続けようとする心理は、「メリトクラシーの再帰性」が非常に高まった状態だと考えることができます。つまり、ある種の能力主義的な社会体制が、自らを激しく問いなおし続けてしまう状態です。」
気になる本→
教育改革に関連して、読んでおきたいと思います。 /
「社会が…新しい能力主義の時代に向かいつつあるというよりは、むしろ、能力主義を標榜しつつもつねに完成しない状態である能力主義に対して、ある種の不安といら立ちのようなものを恒常的に抱え込んでいるのでは」 /
今朝読み終わったのですが、『暴走する能力主義』、おもしろかったです。いろいろ考えさせられます…。 /
高大接続改革を進めちゃいけないという議論に結びつけるべきではないと思う。→
教育機会が拡大して高学歴社会となり、また学校以外のルートからもさまざまな情報が得られるようになるにしたがって、高学歴者の威光は低下していくことになります。
わたしたちは、何が正しい能力評価のあり方なのかをめぐって煩悶し〈能力不安〉を感じるようになります。
コミュニケーション能力、それが高いと生産性が高いというより様々な職種の人にどういう人が有能だと思うかと尋ねると平均して高いのがそれしかないという話だった。
>社会は多様であり、そのなかにいる人々もじつに多様な環境に置かれています。そのようななかで、みんなに共通するものを取り出そうとすると、それはもうみんなが知っている当たり前の能力ぐらいしか残らない
現代人は、何が正しい能力評価なのか煩悶し、自分自身に対し能力不安を感じ、新しい能力を求め続けざるをえない一種の慢性疾患にかかっている
「身分」から「能力」へ、社会の支配的な基準が転換したわけですね。目に見えない「能力」をどのように測定するのですか?
能力とはそもそも定義があいまいであり、能力主義はその能力に常に批判的なため常にあらなた能力を求める性質がある。能力主義が今の社会を息苦しくしているのではないか。
なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか?/『暴走する能力主義』
"「新しい能力」を求め続けざるをえないことそのものが、わたしたちの現代社会が抱える一種の慢性疾患なのだと思うのです"
「能力主義を標榜しつつもつねに完成しない状態である能力主義に対して、ある種の不安といら立ちのようなものを恒常的に抱え込んでいるのではないか」—なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか?/
近代は、身分が無くなって社会の判断基準が「能力」へ移った。でも能力は簡単に測れないから、社会は能力への不安を常に抱え続ける。その不安から、中毒のように私たちは「新しい能力」を求め続けてしまう。
知的な刺激に充ちた記事。ビジネス界では「能力主義」の対語は「成果主義」や「年功制」だけど、社会学では「能力主義=メリトクラシー」に政治支配体制の文脈もあり「貴族主義的支配体制 」に対する造語でしかもやや皮肉に反ユートピア小説で用いられたと。面白いな。
変化しなければならない、という強迫的な不安から能力主義が偏重されるという話、最近のWeb開発界隈にも通じるところがあって共感しました。読んでないけど
避け難いとはいえ、人が人に評価を下すことがどれだけ難しいかというのがあるよね。いくらでも偽装できるが故に、無限に誤る
ふむ。 /
FGO第2部第3章をやっている中これを読むと、なかなかに感慨深い感情がわいてくるな

-シノドス-
メリトクラシー “貴族主義的支配体制の時代から、社会が近代化するなかで能力によって重要な地位を占めた者が支配する能力主義的支配体制の時代への転換を示したもの” / / 『…”
昨今重要視される「コミュ力」は決して新しいものではなく、悪く言えば陳腐ですらある、という指摘。「○○力」という言葉が蔓延して久しいけれど、その本質や正当性の所在については意識を巡らせておきたい。 / “なぜわれわれは「新しい能力…”
義務教育の内容をほぼ完璧にその説明原理と話術込みで身につけていたらいろいろと楽。 /
ウッウッおもしろいよお、キーコンピテンシーに異を唱えるのいいすね
ですよねー>「うまくコミュニケーションできる」という項目(中略)新しい職種でも、伝統的な職種でも、コミュニケーション能力が評価されるのだとすれば、これは新しい能力なのではなくて(以下略───
このメリトクラシーを正当化するための基盤を提供するのが、わたしたち精神科医のおしごと、というか精神医学の社会体全体のなかでの位置づけ、みたいなことを考えると、他人事という感じがしない
"わたしたち現代人は、何が正しい能力評価のあり方なのかをめぐって煩悶し、自分自身に対しても、また社会にとっても〈能力不安〉を感じるようになります" / / 『暴走する能力…”
以上

記事本文: なぜわれわれは「新しい能力」を強迫的に追い求めるのか? / 『暴走する能力主義』著者、中村高康氏インタビュー | SYNODOS -シノドス-

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