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「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって / 前田拓也 / 社会学 | SYNODOS -シノドス-

74コメント 登録日時:2016-09-14 07:14 | SYNODOS(シノドス)キャッシュ

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ツイッターのコメント(74)

「健常者は、障壁を乗り越えようとする障害者の姿に感動してるヒマがあったら、まずはその障壁を取り除けよ、というはなしではないでしょうか。障害者には、「がんばらなくていい権利」があるはずです」
【SYNODOS】「感動」するわたしたち─『24時間テレビ』「感動ポルノ」
感動ポルノ、24時間テレビ、障害者役割、バリバラ、社会モデル、本音主義、などに言及されてる良い記事。
/ 1つの価値や規範が様々な要因から成り立っていることを解析する社会学的アプローチ。障害者への社会における眼差しを解析。
来年は舞台で劇団態変の金満里さんと対談することになってるので、LGBTと変態以外の予備知識の吸収が態変。
【「感動ポルノ」はなぜ批判されているのか、また「感動ポルノ」批判の痛快さがもつ危うさについてお話を伺った】
これほんとすごい。目が覚めるような文章。24時間TVとそれを享受する人、揶揄する人全てに言及しつつ、真理をついてる。
やっと読んだけど理解深まった  /
うーむなるほど。後半の 「感動ポルノ批判」と「本音主義」の親和性 部分が興味深い。
この夏はパラリンピックに感動し、でもこれは「感動ポルノ」に繋がりはしないかとモヤっていたけど、この記事を読みすっきりと整理された。とてもいい記事だと思う。

「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって」
(それもまた隠蔽であると)「感動ポルノ」は「障害者役割」を強固にする「障害の社会モデル」という文脈において批判されるべき/「良識」や「偽善」を嗤って「本音」の側につくというものではない / “「感動」するわたしたち──『24時間…”
やっと読んだ…
「障害の社会モデル」て重要な概念だと思う
そして「本音」だからって「正義」じゃないってことね
感動ポルノと言えば、最近こういうのも読みました。問題点が分かりやすく解説されてるのでオススメです。
この論考では、最後の書かれている「感動ポルノ批判と本音主義の親和性」が特に重要。
「障害者が、社会のつくりだした不利を「克服」すべく「努力させられている」という側面を「感動」が隠蔽してしまう」
福祉からではなく社会学からの視線
今読むべきテキスト。
>健常者は、障壁を乗り越えようとする障害者の姿に感動してるヒマがあったら、まずはその障壁を取り除けよ、というはなしではないでしょうか/
「しかし、ここでわたしが危惧するのは、「感動ポルノ」批判が含んでしまっている、露悪的な、ある種の「本音主義」のようなものとの親和性です」
身体障害者は障害の社会モデル(社会が多様性を無視するために障害が生まれる)を想定しやすいですね。
いわゆる感動ポルノ問題についてツボを押さえてうまいことまとまった良記事

「感動ポルノ」批判が「本音主義」に回収されてしまうことのまずさについて。 /
やっと一周した。
第一に、「感動ポルノ」は、メディアを通して「あるべき障害者像」を流布し、強固にしている点です。
<「感動ポルノ」はなぜ批判されているのか、また「感動ポルノ」批判の痛快さがもつ危うさについてお話を伺った。>
社会モデルの概念も示してくれている。読み応えのある示唆に富んだいい記事だ。批判の姿勢もまた、問われている。
障害者の企画はともかく24時間マラソンはマジでポルノ。恥ずかしくて観ていられない。
「「感動ポルノ」は批判されてしかるべき…危惧するのは…批判が含んでしまっている、露悪的な、ある種の「本音主義」のようなものとの親和性」-【SYNODOS】
福祉業界で働く人も、耳を傾けた方がいいかも。 >批判されるべき点は二点あると思います。第一に、「感動ポルノ」は、メディアを通して「あるべき障害者像」を流布し、強固にしている点です。
「社会モデル」は、個人の身体に問題を見出そうとするのではなくて、社会こそが「障害(障壁)」をつくっており、それを取り除くのは社会の責務である、という考えかたをします。つまり、障害者は「できない」のではなく「できなくさせられている」
「感動」は、障害者が、社会のつくりだした不利を「克服」すべく「努力させられている」という側面を隠蔽してしまいます。
これと全く同じことが、介護美談にも言える。介護美談が介護の社会化をどれほど隠して来ただろうか。
これ、主体が女性でも、在日外国人でも、子どもでも、不便を押し付けられてる側がなんでも当てはまるな。
これによると、24時間テレビとは授業のとっかかりになるほど一般的に観られているものらしい。
「感動ポルノ」は「障害者役割」を強固にするものであるという意味において、また「障害の社会モデル」という文脈において批判されるべき」/【SYNODOS】「感動」するわたしたち─『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって/
「良識」と「本音」 どちらか一方を肯定しすぎず 否定しすぎず/
「感動」するわたしたち─『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって
障害者を見る健常者の視点を抜きに、パラリンピックなり24TVなりで何かを成し遂げたりハードルを乗り越えたりして障害者自身の人生が良い方向に変わる面はあるだろう
わたしが危惧するのは、「感動ポルノ」批判が含んでしまっている、露悪的な、ある種の「本音主義」のようなものとの親和性です
逐一納得する(・ω・)

「感動」するわたしたち 『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって …本音にまつわる最後の指摘まで含め、これは必読。ロールモデルの押し付けも、ある種の露悪主義も、分かりやすさが持つ危うさ。いろいろと考えさせられます。
「感動ポルノは、「社会モデル」の文脈とセットで、きっちりと批判されるべき」「本音の共有によって、障害者への負の感情が共通の足場を獲得していってしまう」 「感動」するわたしたち『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって
“「感動ポルノ」批判が含んでしまっている、露悪的な、ある種の「本音主義」” 確かに。:
社会学的なものの見方というのはこういうことを言うのだという良い例だと思う。>
「障害者」を「被災者」に置き換えて読める部分もあるなあ
「感動ポルノ批判」と「本音主義」の親和性→
うーん。
しっくり来ないのは、あのEテレの番組は「差別批判」なのに、それを「本音主義」と形容するのおかしくないか。
忘れていけないのは、自分の反応を振り返り疑う自分。
2ページあるうちの2ページ目。注目は末尾の近著。
ー”もう番組中何度目かわからないZARDの「負けないで」を歌いながら号泣する徳光和夫” という地獄のような絵ヅラー
この論考は、「感動ポルノ」や社会モデル、にとどまらず、本音主義の危険まで網羅する秀逸な論考。前田さん、お見事!→
「障害者役割」の話に少し前の乙武騒動を思い出し、後段の(小田嶋隆氏を引きながらの)「本音主義」への警戒に、橋下人気を支えた気分を重ね見る。頭の中が整理された→
本音の名を借りた安い露悪的言説なら馬鹿でも出来る、いや馬鹿だからこそ言いたがる。|
「~らしさ」が持つ危険性。多数派が勝手に決めた「~らしさ」が「感動」ではなく人と人の関係を「ややこしくする」と思いました。⇒【SYNODOS】「感動」するわたしたち─『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって/前田拓也/
"ステラ・ヤングさんの議論のポイントは、「社会からもたらされる障害は身体や病状よりもひどい」という部分にありました。" / / 社会福祉…”
読んだ :

感動ポルノへの批判はどういう文脈においてなされるべきか、ということ
「”もう番組中何度目かわからないZARDの「負けないで」を歌いながら号泣する徳光和夫” という地獄のような絵ヅラ」>
これは少し長いけど最後まで読んで、「24時間テレビ」を見た人も、「バリバラ」を見た人も、ちょっと考えてほしいね。→
特に最後の「本音主義」との結合の危うさは大変重要な指摘。僕個人はゴッフマンの慧眼に驚いた。昔から指摘してたんだ。/
「感動ポルノ」批判への共感とその盛り上がり方への違和感について、自分が感じてたことにすごく近いです。
教師や教師になろうとしている人達は、発達障害児にひたすら頑張らせる過ちをしでかす前にこれを読んだ方が良い。
"わたしが危惧するのは、「感動ポルノ」批判が含んでしまっている、露悪的な、ある種の「本音主義」のようなものとの親和性です" / / 社会…”
ひとはみな、死にいたる過程で健常をはなれ「障害者」となり、死ぬ。
感動ポルノは遠い話題ではない。
全くごもっとも。これ以上付け加えることが思いつかんなー。
「『本音』が、まさに『本音』であること自体によって免罪されるはずのものだということを、強烈に信じ込んでいる」
感動というのは芸術にとっては重要な要素だと思う。だがそれが娯楽になる事によって感動させる技術が高まった。
感動ポルノ批判への危惧ってこれ以外にもみたけど、危惧される状況は発生してるのだろうか?
「「感動ポルノ」はあくまでも、「障害者役割」をいっそう強固にするものであるという意味において、また、「障害の社会モデル」という文脈において、批判されるべきだと考えます。」/「感動」するわたしたち
「ここでわたしが危惧するのは、「感動ポルノ」批判が含んでしまっている、露悪的な、ある種の「本音主義」のようなものとの親和性です。」/【SYNODOS】
以上

記事本文: 「感動」するわたしたち──『24時間テレビ』と「感動ポルノ」批判をめぐって / 前田拓也 / 社会学 | SYNODOS -シノドス-

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