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学校の部活動――消え失せた「自主性」と「教育の論理」 / 内田良 / 教育社会学 | SYNODOS -シノドス-

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ツイッターのコメント(36)

@JingujiPico 内田准教授が引用した記事なのでお気に召さないかも知れませんが…
引用「休みなく連日練習を積んで、ともすれば身体を壊し、ともすればその活動が嫌になることもある。それらのリスクを高めながら遂行される活動は少なくとも学校教育が積極的に担うべきものではない。そしてこの方針は現行の教員の多忙さをいくらか緩和することにもつながる」
凄く良い文章。まったくその通り。
僕も、競技やスポーツとしての活動は部活から切り離されるべきで、部活には生徒の自主性を重視した「ゆとり」のある活動が必要だと思う。
引用:休みなく連日練習を積んで、ともすれば身体を壊し、ともすればその活動が嫌になることもある。それらのリスクを高めながら遂行される活動は、少なくとも学校教育が積極的に担うべきものではない。
【SYNODOS】学校の部活動 消え失せた「自主性」と「教育の論理」

“そもそも部活動は自主的な活動、つまり勝手にやっているだけであり、けっして正規の教育内容ではない。保護者はしばしば、「教員は勤務の一環として部活動を指導している」と信じている。大きな勘違いである”
文科省がある東京都の部活動参加率が8.9%って、やっぱ部活必要無いんじゃね?www
同意見。しかし、グレる暇もないというプラス面はあることは認めざるを得ない。
生徒の自主的な活動を無理な負荷をかけることなく保証し、生徒も教員も保護者も、安心して楽しめるスポーツ・芸術活動が提供できることを願う。
部活動の顧問の先生には、ほとんど賃金が支払われていません。強い部活でも弱い部活でも。だから「ボランティア」的要素が強い。→
「致し方ない強制も教育の内」と捉えられている間はそれこそ自主性なんて芽生えないだろうに。
部活動は「生徒の自主的、自発的な参加により行われる」
初耳だね
あれはもともと規律とか調練とかを教育に導入するためのツール
一度も部活に入ったこと無い私って…レアなの?
@3ch1o その辺の、部活の「競技」としての側面と「教育」としての側面との歴史的対立に関しては、最近シノドスに記事があったよ。笑
8月4日の電子マガジンシノドスにて、内田良氏が学校の部活動について論じて論じておられます。光文社新書『教育という病』でも詳しく触れておられますので、未読の方はぜひご一読下さい。
部活動は自主的な活動であるということ、部活動は「教育」であるということ、こういう「当たり前」が当たり前じゃなくなってるのか… ◆
中学時代はソフトテニス部だったけど1年半で辞めた 大会の勝ち方じゃなくスポーツの楽しみ方を知りたかった/反「勝つ喜び」至上主義の奴は同じ時期にごっそり辞めたな 今でもテニスは観るのもやるのも好きです / “学校の部活動――消え失せ…”
<競技>は民間クラブに委ね、部活動は<教育>に徹すべきという主張には、教員の負担を減らすという観点からも賛同できるかな。>
普通に部活は義務だったよ
みんなやってるからという強烈な場の論理ないし母性原理が作用している点ではブラック企業と通じるところがある。 / -シノドス-”
障がいのある子どもが排除されている事も論考に加えられたい。
部活動のせいで「勝たなければならない」という認識が植え付けられてしまい,「スポーツを楽しむ」というスポーツ本来のあり方が否定されるのが一番大きな弊害。 / / 教…”
仮に義務じゃなくても、どの部に入るかで校内のヒエラルキーが決まる空気はあるらしい。その空気をブッチできるほど強い子って多くないよね。
PTA,町内会,部活動と、あり方の根本に立ち戻る動きが出て頼もしい。残業(は基本無し)や有給休暇(は効率的労働の為)等の正規のあり方ももっと広まって欲しい。 / …”
教育が一番キツいって話 / -シノドス-”
“みずからの意志で””参加している(ことになっている)“っていうのは部活に限らずよくあるよな…。
部活強制って地域があるのか…地獄だな…|
東北の児童生徒に人権なんか無いのです。 >2008年の時点で部活動の参加を生徒に義務付けている学校が、岩手県では99.1%を占めている / | S…”
義務付けるということは、自主性を信じないということでもあるからね。
<夏休みの部活動企画 第1弾>

「『部活動が自主的なものだったとは、知りませんでした』――素朴なツイートにハッとさせられることがある…」

▼【SYNODOS】学校の部活動――消え失せた「自主性」と「教育の論理」/内田良/
備忘録。あとで意見を書く。その後このtwは消す。
「練習時間や日数が多ければ強くなれるという根拠のあやふやな想定にしたがって」こういう部あるよなあ。しかも教員や指導者がいなくても/強制しなくても自主的にこうなる場合もある / “学校の部活動――消え失せた「自主性」と「教育の論理」…”
「スポーツ」としてゆがんでいる部分と「教育」としてゆがんでいる部分と「労働」としてゆがんでいる部分と歪みのオンパレードなのが今の部活動 / | S…”
自分の中学も部活は強制だった。仕方なくテニス部に入ったけど、先輩にラケットで頭を殴られるなどいじめられて、結局は美術部に助けを求めたな…。 / |…”
以上
 

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