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苦しみうずくまる子、泣きながら子を探す親…当時高校生の男性が初証言 宮森小ジェット機墜落事故から61年 - 琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース

12コメント 2020-06-30 10:00 | 琉球新報キャッシュ

 【うるま】自分の子どもを探し、名前を叫び続ける人。子どもを見つけられずに困惑する人もいた。1959年6月30日、嘉手納基地所属の米軍ジェット機がうるま市石川(旧石川市)の住宅地や宮森小に墜落した。那覇市......

ツイッターのコメント(12)

「これだけ多くの市民が(米軍機の墜落に)巻き込まれて亡くなった事故は、戦後の日本で初めて…みんなが知るべき歴史だ」
関東の者としては横浜米軍機墜落事故を思い出す…。
学校から終わると子どもたちは友だちと遊んで、お家に帰って家族と過ごしていたと思います。けど61年前の今日、小学校にアメリカ軍の戦闘機が墜落して多くの子どもたちが亡くなりました。

毎年、あの日あの時の話を聞いたことを思い出して苦しくなる。
宮森小ジェット機墜落から61年 (琉球新報)
苦しみうずくまる子、泣きながら子を探す親


「子どもを探し、名前を叫び続ける人。子どもを見つけられずに困惑する人」「1959年6月30日、嘉手納基地所属の米軍ジェット機がうるま市石川の住宅地や宮森小に墜落」「みんなが知るべき歴史だ」
宮森小ジェット機墜落事故から61年(琉球新報)
こういう事件があった事 知りませんでした。沖縄はやっぱり負担が大きいように感じます。早く基地や軍隊や武器等がいらない平和な世の中になって欲しい。
”授業中、異様な飛行音を聞いた。「落ちる、落ちる」。同級生が叫び、気付けばみんなが教室を飛び出していた。約20分後、宮森小にたどり着くと校舎が炎に包まれていた。離れた場所には苦しみながらうずくまる児童や、負傷して横たわる人、泣きながらわが子を探す親がいた“
米軍ジェット機が小学校に墜落
から、61年
「これだけ多くの市民が米軍機墜落に巻き込まれて亡くなった事故は戦後の日本で初めてだった。これはみんなが知るべき歴史だ」
若手記者が書きました。
忘れてはいけないこと

 #宮森小 ジェット機墜落事故から61年 - #琉球新報 - 沖縄の新聞、地域のニュース
この危険が今もすぐそばにあること知っていてほしい
以上
 

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