やまゆり園事件植松被告の死刑判決を受けて ーいま生きているということの絶対的な価値をつくるー|奥田知志|note

12コメント 2020-03-16 20:06 note

本日、相模原市の知的障害者施設で入所者19人を殺害した罪などに問われた元職員の植松聖被告へ、求刑どおり死刑が言い渡された。   第十回公判で、姉を殺害された弟が植松被告に「コンプレックスが事件を引き...

ツイッターのコメント(12)

「彼が持ち出した価値観や主張を私たちは本当に根絶できるのか」
“『生きる意味があるか』というのは、実は現代における自問で、それを被告は障害者に向けたが、根っこのところでは彼自身がおそらく『俺は生きる意味があるのか』と自問していたのではないか”
《出番がない人間が出番をみずからつくった事件》

そうそう。しかしこの辺は、似たようなサイコを勇気づかせないためにも、植松が死刑になった後から淡々と考えよう。

植松被告の死刑判決を受けて
「今生きているということの絶対的な価値」という言葉、美しいとは思うけれども、ひねくれリアリストの私としてはどうしても違和感を覚えてしまう。
いま生きているということの絶対的な価値。
その価値だけは、揺らいではいけないと思った。
「出番がない人間が出番をみずからつくった事件で、ヘイトクライムですらない-。『生きる意味があるか』というのは、実は現代における自問で、それを被告は障害者に向けたが、根っこのところでは彼自身がおそらく『俺は生きる意味があるのか』と自問していたのではないか」
「彼が言った『価値のない命と価値のある命』という生産性の議論で、私たちは本当に戦う気持ちになっているだろうか。『あいつは極端な人殺しだ』とおさめてしまったら、何もこの事件から得ることができない。」
「障害のある人たちと一緒にどう生きていくのか。彼が持ち出した価値観や主張を私たちは本当に根絶できるのか。

本当の勝負はこれからである。」
この事件が起きた当初
私は障がい者ではなかった

障がい者になった今、俯瞰すると、健康だった頃の私は
身勝手な尺度で
人を選別することに
無意識に加担していたことが
よく分かる。胸が痛い

植松被告は断罪されるべきだが
これで終わりにしてはいけない

奥田知志
共感する部分もありながら。
個人的な心(考え方)と団体生活での心の持ち方
自分だけと思わずに、押したり退いたり、横から同じ行いが繰り返されない様に祈る
@Haguruma_001 すみません、リンクが切れていました。奥田さんがnoteに書いておられるのでこちらでご覧ください。
本日、やまゆり園事件を起こした植松被告へ死刑が言い渡されました。

「あいつは極端な人殺しだ」とおさめてしまわず、彼が持ち出した価値観や主張を、私たちは根絶できるのか。本当の勝負は裁判が終わってからです。
以上
 
PR
PR