TOP > ネタ・話題 > 人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)|note

人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)|note

548コメント 2020-05-30 16:27 | noteキャッシュ

「というのも、各々は直接的に他者のうちに自分を知るからであり…しかもそれによって、各々が、他者もまた同じように彼の他者の内に自分を知るのだ」(ヘーゲル『イェーナ体系構想』法政大学出版局)  「臨場性」はなぜ必要か  コロナ禍の中で、心から消滅して欲しいと思ったのは「ハンコ」である。  大学が入構自粛になっているのに、ハンコを押すためだけに出勤することの徒労感。そういえばうちの大学では、会議からはほぼ完全に紙資料が駆逐...

ツイッターのコメント(548)

ちなみにここ数日言っている関係性という語の意味はこの記事に書いてある

@pentaxxx
@pentaxxx あとで、残りよもう。
読むの遅れましたが、「臨場性」とのネーミングと斎藤先生の鋭いご考察で、もやもやがすこし晴れた気がします。
初めの方読んだ。途中以降また読みたい。
面白い記事なのに唐突に漫画ネタとか放り込まれて読みにくいにゃんね
あらゆる人間関係が非対称性なのはその通りだと思うけれど、その非対称性が「身体抜きには成立しない」から臨場性を求めてリアルに会いたいわけじゃなく、その非対称性を手軽に均す方法として臨場性が有効だからわざわざリアルで会っているように個人的には感じるなあ。
人と出逢う事で、「暴力の痛み」を感ずる人々が一定数いる。コロナ禍で、人と会う時間を大切にしたいと思っていたが、その事で傷つく人もいる。相手に応じてコミュニケーションの使い分けが大切になってくるんだな

人は人と出会うべきなのか斎藤環 精神科医 @pentaxxx
計画性や目的性を拒絶するそんな贈与は、必然的に何らかの「暴力性」をはらむ。呪いとしての贈与だけでなく、祝福としての贈与だとしても。斉藤環さんは「臨場性」は暴力であり、欲望であり、関係性である、という。「ただ、居る」の困難はどこまで行ってもつきまとう。
この文章を思い出してまた読んでる 言葉を全部理解出来なくてしょんぼりしながら読んでる
ハンコ…もぅマンガやないの(中川家)
臨場性が暴力、感覚的にわかる〜。
@pentaxxx
@pentaxxx 読んだ!面白かったし興味深かった
オンラインの飲み会もヨガも楽だしそれなりに楽しい。でもやはり、会って怒ったり泣いたり笑ったりして生きていたいと思う。最近感じてたもやもやが晴れた気がする。

@pentaxxx
臨場性=暴力
愛する宝塚の公演再開に沸きながら、なぜわたし(たち)は"生の観劇"にこだわるのかを改めて考えていたら、この記事を思い出した。身体抜きには成立しない、非対称な関係。わたしは観劇も広義の"対話"だと思う。

@pentaxxx
斎藤環「本当は専門用語で「攻め×受け」と言いたい。BL界隈の言葉ではあるが、私は真剣に、ここにこそ関係性の本質があると考えている。あらゆる関係は——そして対話は——「攻め×受け」なしには成立しない。」
@pentaxxx
"集団の意思決定において、しばしば集まって対話することが必要とみなされるのはこのためだ。この効率化のおおもとに「臨場性の暴力」があるということ。このことに気づき、自覚できるのは、人類の歴史上、もっとも臨場性が剥奪された今をおいてほかにない。"
人間と継続的に会うことはしんどい
記事の論旨からすると各論だが以下の記述が印象に残った。なるほど。

“欲望の起源は他者であるとして、欲望の活性化をもっとも促進してくれるのは暴力だ。”

“関係性とコミュニケーション(情報の伝達)はまったくの別物であり、私からみれば、ほとんど対義語ですらある。”
引きこもってた時は対面はなくとも本、マンガ、ゲーム、テレビにおいてすらこの暴力性に慄いていて今でもその傾向がある。侵入という意味では入浴も脅威に感じる部分があった。| @pentaxxx
途中でいきなり猗窩座の話が出てきて、ウオッてなった(笑)
それはともかく、オンラインと臨場性の違いが今までで一番腑に落ちたので保存

@pentaxxx
「人の多様な感受性と認容性のありようを尊重し配慮する態度が要請されるべきである」という結びの一節に深く感じ入る

@pentaxxx
斎藤環御大のこのnote、まじめに読んでいたら途中例え話としてキメツが出てきたりBLの話が出てきたりするので、若干の動揺がありました。
「臨場性は暴力」とすることで色んなことの合点がいった。面白かった
@pentaxxx
性関係はもとより、治療関係、師弟関係、家族などの、コミュニケーション=情報の伝達よりも、関係性が重要な意味を持つあらゆる領域は、今後も臨場性が必須となり、オンラインでは完結できない。
@pentaxxx
素晴らしい...文章力に感動すら覚えました。ゲームのオープニングムービーを見ているかのように、引き込まれました。


人間は、非対称だ。面白いー。ただただ、面白い!
凄まじく素晴らしい記事
最近の生きやすさの理由はほぼここに書いてあった。

あと、この方絶対マンガ好きw

@pentaxxx
@sobameshifox ソバメシくん臨場性を求めてる説
オンラインではなぜダメなのか。とても納得できるお話でした。
@pentaxxx
臨場性と暴力についての論考。あらゆる関係は非対称であるとは、さすが。
「人の多様な感受性と認容性のありようを尊重し配慮する態度が要請されるべきである」
@pentaxxx おもしろかった。
また読んでた 咀嚼が難しくて後半部の理解がいまだに追いついてないけど「臨場性は暴力」というのはやはりすごくよくわかる、この文章中で定義される「暴力」は価値判断や善悪や意図によらずはたらいてしまう力なので
アライさんが電車(閉鎖空間)やヒトの集団がツライのこれなのだ、「臨場性の暴力」をより感じやすいからなのだ

@pentaxxx
@pentaxxx その場に人と人が居合わせるのは暴力の行使のため、という話。実体験にもよく当てはまるので、頷きながら読んでた
また読み返したいのだけど、"関係性とコミュニケーション(情報の伝達)はまったくの別物"というところに妙に納得した

@pentaxxx
「こっち側」から語ってくれる精神科医、圧倒的に信用できる
2回読んだら「臨場性=暴力/欲望/関係」ってのがすごいスッと腑に落ちた。一人ひとりがそれぞれに思うことをやるのでは、特に会社組織などであれば何かを成すのは難しい、そこに自然とは逆の力がないと成立しないってことだと思った。気持ちが離れているならなおさら
面白い 人は人と出会うべきなのか|斎藤環(精神科医)|note
これすごく面白かった
勉強になる考察。
「人と人が出会うときそれがどれほど平和的な出会いであっても、自我は他者からの侵襲を受け大なり小なり個的領域が侵される。それを快と感ずるか不快と感ずるかはどうでもよい。「出会う」とはそういうことだし、そこで生じてしまう“不可避の侵襲”を私は「暴力」と呼ぶ」
2ヶ月ぶりのオフライン、そしてもぐら会に入って1周年の記念すべきお話会。何度も会ってきた人も初めて会う人も、昨日よりもっと好きになった。わたしはやはり、暴力性を受け止めみんなと出会いたい。人は人と出会うべきなのか
@pentaxxx
@SABI_SAVA_
関連する斎藤環先生のnote拝読しました。
デモそのものが臨場の力を持ってしか繰り出せない暴力の手段だけど、それをまた、非言語的暴力(ダンス)で分断(言語の原初的役割のはずだった)に導く。

ウェイ系、すげえ!魔法使い!?

この現象、斎藤先生に分析して欲しいですね!
「関係性は非対称である・・・対話のダイナミズムはそうしたミクロな非対称性の位置エネルギーの落差によって駆動されている。」
モノローグとは対話的場面における学習機能の切断であり伝達・操作という他者支配モードの起動である。
> 何かを決めたい、(略)説得したいと思うとき、人は会うこと、集まること、すなわち「臨場性」を求めがちだ。なぜか。そのほうが「話が早い」からだ。なぜ話が早いのか。それが「臨場性の暴力」の行使だから。

@pentaxxx
臨場性。
自分の疑問がかなり腑に落ちた気がする。

@pentaxxx
@pentaxxx …タンゴも関係性だからなぁと思い当たりました。
- "臨場性という暴力には、人々の関係と欲望を賦活し、多様な意思をとりまとめ、決断と行動のプロセスを一気に前に進める力がある。(中略)この効率化のおおもとに「臨場性の暴力」があるということ。"

@pentaxxx
もっと見る (残り約498件)
 

いま話題のニュース

PR