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「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|小野ほりでい|note

30コメント 2021-02-18 22:01  note

2021年2月13日の地震後、Twitterなどで「~~が井戸に毒を入れた」というデマが多数投稿されました(現在は多数のアカウントが凍結済み)。これは1923年の関東大震災後の(虐殺の発端ともなった)...

ツイッターのコメント(30)

"匿名掲示板的なネットコミュニティでは、このような「何も信じていない主体」、ひいては「騙されない俺たち」という意識が、一種の連帯意識を持つためのキーとなっています(略)「騙される側」から「騙す側」に”成長”することで、ネット上の内輪コミュニティの一員となれる"
“あえて「内輪の外側(つまり真に受ける側)」から批判したのです。要するに、「これはパロディである」という内輪感覚を取り払った「それ」が純粋な悪意に過ぎないという「外部」の存在を提示した”

「井戸に毒」のデマに見る「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々
記事中にある《この発言はマズかった。「嫁」なんていったものなら、日本女性から袋叩きに合うのが今の日本ですよ》は発言者を男性だと思った方がむしろ違和感のない文章で、皮肉としてのパロディとして発言されたものと察せる

皮肉としてのパロディについて勉強になった記事
まだ1週間弱の話なのに全く話題になっていないのが怖い
今回の件への振る舞いで信頼出来る報道personか否かを篩にかけられた

繰り返すけど100年後ですよ?今
私がさっきサタイアに絡めて話してたの、これ
「どっちもどっちw」の冷笑系は、自分の安心を守るために世界の悪を放置している。
私が好きだった優しい人は、傷つき易すぎてどうしてもこの態度から離れられなかった。
わたしはこれに苦しんでいたのかもしれない
この小野って人を正しいとするならば、作家が言う「俺の意見じゃないんだ、登場人物が言ってることなんだ」が許されず、差別が入ってる作品は全部ダメだということになる。ただの言葉狩りだ。「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|
皮肉や嘲笑のような2ch的なふるまいがもう昔の狭いネット空間だけで通用したものではなくて、ネット上とはいえ公共空間的な場所になった今では「ネタ」では済まなくなっている、というような話。
昔の2chのようなふるまいって今となってはホント有害だなぁと改めて思う。
東スポ(の見出し)で騒ぐひとが居たら間違いなくそいつの知性を疑われるように、発信が止められない以上有象無象の発信物はエンタメにしかなり得ないと人々に浸透させるしかない |
大変示唆的です。
「アイロニーは「対立している主体」という立場の表明を避ける以上、対象を肯定ないし否定する重量を持たない」
「皮肉で言ったとしても―――相手が「ありがとうございます、私もそう思います」と真に受ければ、それは皮肉として機能しないばかりか逆効果」
面白い。僕もネタと整理を交互にやるから、読む人の判断に委ねている感覚はある
抽象的思考は重要だが、冒頭の「背理のコミュニケーション」(橋本良明)のスキームは一旦読み飛ばして、後で戻った方が分かりやすい。 津田大介さんお奨めの記事。
“ネットは「内輪の空間」から「公共の空間」へと様変わりし―――これまでのように、「騙される人間が悪い」というような裏社会のロジックは逆に「通用しない」状態になってしまいます
言ってる事は至極まっとうなんだけど、下手すると「井戸に毒」というのがアイロニー的意識もなく、最初からネタとして定着して、そもそもなぜ「井戸に毒」なのかという文脈すらわからない層ももういると思うんよね。
んー。アイロニカルなパロディを言うことで、批判されない立場から石を投げてるというのはそのとおりだと思うけど、古い2ちゃん的意識を引きずってるというのはいまいち納得できない
“アイロニーは、自分の立場を明らかにしないまま相手を「委縮させる」手段として選択され得るものだといえます。”や最後の防衛機制の件など示唆深い指摘が多い。
皮肉屋は内輪でやるには面白いんだけど、実際にそこからの陰謀論への転身ってほんとよくあることで、割と頭を抱え続けてきた。内容的にはわかりみしかないが、自己正当化はなぜ起こったのか、という踏み込みが読みたい。
引用書を読んだことがある人的には「あれはアイロニカルな没入だね」の一言で終わる話だけど、なぜいまごろこれが?て感じだし、小野ホリディさんからこれが出るのが意外だった「井戸に毒」のデマに見る、「2ちゃんねる的インターネット」を引きずる人々|
「パロディ」の信奉者は「信じる主体」も「外部」も欠如している。主体も外部も欠くために相対主義的な思考しかできないにもかかわらず、そんな己が他者からは「正しく」みえると信じ込んでよろこんでいる。グサグサぶっささってつらすぎる。
"ネットは「内輪の空間」から「公共の空間」へと様変わりし(略)「騙される人間が悪い」というような裏社会のロジックは「通用しない」状態になってしまいます。"

ほんとこれよ。
先日の東北地震について流れた「(ネタとして投稿された)差別デマ」についての考察。必読です。

小野ほりでいさんの最近のnoteは本当に面白いのだけれど、かつてとは価値観が変わっているような気がしますね。
<「デマのパロディ」「陰謀論のパロディ」は、「それを信じる人」を発生させ、悪影響を与えたり、誰かを傷つけ得るという意味では「デマ」や「陰謀論」へのアンチにはなり得ず、デマや陰謀論「そのもの」に過ぎません>
アカウント変えて逃げ出したあの名前を言いたくない人がなぜクソダサいのかという論理的な追い打ち
パーフェクトな解説だった。ここまで言い当てられると気持ちがいい。気持ちよすぎて初めて note に課金した。ここまで詳らかにされても我が振り直そうとは別に思わないあたり、なるほどこれがインターネット老害かって自覚が深まった
「アイロニカルな態度によってわたしたちは、「信じていないというタテマを守りながら」、現実レベルにおいて「まことしやかに陰謀論を語る」ことの快感にありつくことができる」
「アイロニーとしてのパロディ」の本質は権威への抵抗であり、アイロニカルな態度は平等の為に権威を徹底的に失墜させる事を目的としてるから、軸がないってのも一面的な見方だなと思う。
"つまりアイロニストは、「何も信じていない主体」「何も好きではない主体」という透明人間を演じることで、「自分が信じるものを否定されるリスク」、ひいては「何かを信じている状態の脆さそのもの」から逃れている、と考えることができます"
以上
 

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