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「あらゆるものが『生きろ』と言うが」 - 月刊ショータ

死について考えるとき、それが身近な誰の死であっても悲しいものだろうし、なかんずく自分の死であるなら恐れない人はいない。死ぬのはなるべく先延ばしにしたいものだ。 ALS(筋萎縮性側索硬化症)に苦しむ女性が、医師二名に安楽死を依頼し、それに応えた二人が薬剤を与えて死なせたという、いわゆる安楽死に関する事件があった。 この報道に触れて、誰でも安楽死について思考を巡らせたのではないだろうか。 しかし、日本医師会の中川会長は〈今回の...

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誤解を恐れずに言うなら、人は死ぬために生きていると思っている。生まれた瞬間、死というゴールに向かって号砲が鳴らされ、その過程をいかに豊かに彩よく生きるか、に日々、右往左往しているのだと。人が生きてゆくには、死に向き合うことは避けられない。
安楽死や尊厳死に深く切り込んだ記事。
最後の元ブラウン知事の言葉が全て。

自分が死にたいと思える苦痛に直面した時の選択肢。
その選択肢は、決して死にたい人は死ねばいいとか、闘病者の努力を軽んじるものではない。

私は必死に生きるけど、選択肢はほしいなあ。
どう生きるかを考えることは、例えば新型コロナウィルスにどう対処するかにも繋がることでもあり、今一番逃げてはいけない話題かもしれない。
1つずつ自分で決めていこうと改めて思った。
この国の警察も、法曹界も、政治家も、100年以上も前に医者でもあった鴎外がわざわざ書いた『高瀬舟』も読んでないんよな。
わからないまま考える
ずっと「死に方だけは選べない」と思っていたから
反射的に、ほんとうに反射的に、遮断機の降りた踏切で
バーをくぐろうとして、見知らぬおじさんに
「危ないよ、電車すぐくるよ、危ないよ」と、言われて
やめたそのすぐあとに電車が走っていきました。

あれから一ケ月...
生きてて良かったことが、ちゃんとありました。
当人が熟慮のすえ、なお死を願うというのを邪魔してはならないと考えるが、願わくは「自らの生を終える」ことを決定する主体は、知性や感情ではなく、もっと本源的な、その生命自体であってほしい。全体的生命のみが、その生の終焉を決定する権利をもつ、というか。
失うのが怖くて病んでいきました。いまは、この先になにか望みはあるだろうかと思いながら生きています。
それでも、生き抜こうと思うし、生きてほしいと願う。だからといって、痛みに苦しむ人の選択肢を奪っていいことにはならない。
いつもここで止まってしまいます。
安楽死と尊厳死、そして自死。
見つめるのは死なのかな…否、自分の生。
どう生きるか=どう死にたいか
うやむやにしたり先延ばしして良いのかな…。
答えは、今、出ない。ぐるぐる回る。
タイミングもあり、ものすごく考えさせられた。
以上
 

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