「借り物だらけ」の開会式 64年五輪神話の呪縛 吉見俊哉さん | 毎日新聞

37コメント 2021-07-30 05:06|毎日新聞

ツイッターのコメント(37)

「より速く、より高く、より強く」というスローガンが強調された。60年代、私たちはそうやって経済成長をひた走った。だがこれは成長型社会の価値である。その価値への固執が別の価値への目を封じる
>2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセージも欠けていた。
借り物というより、新しい物を拒む、今の日本の上層部や高年齢層の力が強いことを表している。
私は根本に1964年五輪の強迫観念的な呪縛があると考えている。日本選手団の紅白コスチュームから長嶋茂雄や王貞治を引っ張り出した聖火リレーまで、60年代の陳腐な反復。この固執は、菅首相が、高校生で経験した64年五輪の思い出を長々と語ったときに再確認された。
: 東京五輪の開会式が行われている国立競技場そばの上空を、地球の形を模して編隊飛行するドローン(右上)=東京都渋谷区の渋谷スカイから2021年7月23日午後10時48分、手塚耕一郎撮影…
うなづきます。⇒
「MIKIKOが構想していた演出計画は、大友克洋の漫画『AKIRA』のネオ東京とパンデミック下の東京の今を重ね/それが実現していれば、五輪開催の賛否はさておき、政治や経済は劣化していても、文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせることができた」
戦後レジューム云々言っていた方が、最も呪縛に囚われている。
64年五輪神話の陳腐な呪縛 吉見俊哉さん | 毎日新聞
「2021年東京五輪開会式は、この五輪が経てきた失敗の連鎖を象徴する出来だった。借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセージも欠けていた。」

みないでよかった!
この論考にアグリー。

・借り物だらけの焦点の定まらないパッチワーク
・MIKIKO案だったら、経済はさておき文化だけはまだ日本に未来への力があると世界に認めさせることができたであろう
←「世界がパンデミックで苦しんでいる中、日本の首相が国会で口にできた五輪開催の意義は、64年五輪の思い出話だったのだ。」これもお粗末。
まぁ、そのとおり。ハワイ沖で高校生の練習船えひめ丸が沈没し死者多数が出た時、一報を聞いても趣味のゴルフを平気で続行した森喜朗首相(当時)が組織委会長なら、必ずこうなるのは分かっていた。
「この固執は、五輪について国会で問われた菅義偉首相が、高校生で経験した64年五輪の輝かしさを長々と語ったときに再確認された。世界がパンデミックで苦しんでいる中、日本の首相が国会で口にできた五輪開催の意義は、64年五輪の思い出話だったのだ」と吉見俊哉さん。
「私たちは成長から循環へ、「速く、高く、強く→愉しく、しなやかに、末永く」への地球的転換を経験している。まず64年五輪神話を否定しなければいけなかったはずだ。成長型社会の中でしか五輪を想像できないのなら、TOKYO2020など生まれて来ようがなかったのである」
「60年代の陳腐な反復」
64年大会の思い出をなぞるだけなら、20年に東京で五輪を開催する意義などなかった。況やコロナ禍おいてをや。

>吉見教授は1964年の東京五輪と比較しつつ、「60年代の陳腐な反復」だったと指摘する。
<結局、五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌(は)め、飼い殺し、排除してしまうことだった>
結局、私は、開会式でこれからビジョンが示されなかったことに大きなショクを受けている。
・・・っちゅうか、毎日新聞はナニをしたいん?そんなに日本国を貶めたいん?権力への監視じゃないよもはや。母国をバッシングしてどうしたい訳?
どこまで日本を悪く書けば、ツチノコ新聞は倒産するのだろうか?記事にご尤もって奴は、日本人以外だろ!ハヤクツブレロ!
保身に長けた無能の仕事
結局、五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌(は)め、飼い殺し、排除してしまうことだった。(本文より)
「「五輪と戦後」(河出書房新社)などの著書がある吉見俊哉・東大大学院教授に寄稿してもらった。吉見教授は1964年の東京五輪と比較しつつ、「60年代の陳腐な反復」だったと指摘する。」
コレ全文ちゃんと読みたいな
開催前の是々非々の議論はまだいいにしろ、まだこんな事言ってんのかよ毎日。

確かにダサダサの開会式だったが、もう終わった事でしょう。

この状況下で開催していること自体が立派でしょう。
> 五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌(は)め、飼い殺し、排除してしまうことだった。
「結局、五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌(は)め、飼い殺し、排除してしまうことだった」
所詮、個人の感想
費用を掛けない質素な演出を目指していたと思う
印象的かつ十分立派だった
そうさせたくなかったのが、当の新聞屋を含む一派だろ。ひとの仕事にケチつけるだけで商売になるんだからお気楽なもんよのう。

▶︎
今なんで長嶋茂雄かというと64年回帰ということらしい。
「21世紀、私たちは成長から循環へ、「速く、高く、強く」から「愉(たの)しく、しなやかに、末永く」への価値の地球的転換を経験している。そうした大転換の中で五輪を位置づけ直すには、まず64年五輪の神話を断固否定しなければいけなかったはずだ。」
『借り物だらけの焦点の定まらないパッチワークで、衝撃力も心を衝(つ)くメッセージも欠けていた。状況がまるで違うのは百も承知だが、9年前のロンドン五輪開会式の華麗な演出と比較すれば、その落差は目を覆いたくなるほどだ。』見なくて良かった。 #
もうオリンピックに関してはなんもいわねぇ。北島康介じゃないよ。
なんも言えねぇとはちょっと違うよ。
「世界がパンデミックで苦しむ中、日本の首相が国会で口にできた五輪開催の意義は、64年五輪の思い出話だった──」
“五輪神話の呪縛”を指摘する吉見俊哉・東大大学院教授の寄稿です。
2021年に昭和おじさんのノスタルジーを見せられても共感は生まないよな。

記事:結局、五輪をめぐり私たちが目の当たりにしてきたのは、日本の組織文化が自由な創造性とは何かを理解できず、それを枠に嵌め、飼い殺し、排除してしまうことだった。
吉見俊哉さん...
以上
 
PR
PR