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相次ぐジャーナリストのハラスメント疑惑へのジャーナリストの一考察(佐々木 俊尚) | 現代ビジネス | 講談社(1/5)

79コメント 登録日時:2019-03-14 08:31 | 現代ビジネス[講談社]キャッシュ

「現代ビジネス」は、第一線で活躍するビジネスパーソン、マネジメント層に向けて、プロフェッショナルの分析に基づいた記事を届ける新創刊メディアです。政治、経済からライフスタイルまで、ネットの特性を最大限にいかした新しい時代のジャーナリズムの可能性を追及します。...

Twitterのコメント(79)

佐々木俊尚さんはハラスメント疑惑でも山口敬之ジャーナリストの件についてだけは徹頭徹尾触れないけど、今回も反権力がーという文脈だけでハラスメント自体に別段興味が無さそうなのモヤモヤするなあ。
善悪評価は本人にとっては絶対的なものと思いがちだけど、個々人における相対的な判断に過ぎない。自らの評価軸で世界を断罪するよりも、互いの損得で協力し合える状況を目指すべき。 / 俊尚)…”
何となく、ニーチェの次の言葉を思い出す。「怪物と闘う者は、自らも怪物にならぬよう、気をつけるべきだろう。深淵をのぞきこむ者は、深淵からものぞきこまれているのだ。」
佐々木俊尚「反権力という言葉が使われるとき、その「権力」はたいてい政治権力を指している。時の政権であり、大統領や首相や与党である。しかし権力は何も政治権力だけとは限らない。人間の集団が生まれれば、かならず権力は生まれてくる。」
丁寧によむべき。
権力、被害者=加害者、善悪ヒエラルキー、構造の理解、当事者、無自覚、学ぶべきものが沢山詰まっていた。
スケールの全然違う事だけど、自分の過去や今が救われた部分も、責任を追及して行かなきゃいけない事も、少しずつ明確になった。

知っている事で知らない事を知ろう。
セクシュアル・ハラスメントは権力関係の問題だということが、逆にわかりやすい。単純な善悪二元論に陥ることは、やっぱり傲慢だし罪だとも言いたくなる。無自覚って怖い。
とても深かった。「正義」ではなく、「公正さ」を追求する佐々木さんらしい論考だった。
補助線が面白い。
小田実「被害者=加害者」論

"複雑な"人間社会を"雑な"善悪二元論で片付けるのはやめませんか?
という提言ですかね。賛成です。
怪物を退治するために怪物になってしまってはいないかという話
>>「被害者ではない人」をまとめて加害者の側に押しやってしまい、断罪できるようになってしまう。これはあらゆるものを「敵か味方か」に分ける党派性を高め
>>敵対する下方の悪と戦っている限りはつねに自分が上位の善であることは保証されているという思考
ツイッターで見た
昭和は、政府と軍が戦争を起こした、が主流で一億総被害者気分だったからね。その点では、韓国とかの我々こそが被害者、お前ら全員戦犯、というしつこい位の主張は、目を覚まさせるきっかけになっている
マスコミというかジャーナリズム自体が権威になってるんだよなぁ
キュレーション屋にしてはいい話だが、最後の『お前が深淵を~』の流用はカッコ悪い。
個人の問題に帰するのを嫌う人は多いが、精神科医の本にはよく、自己愛に障害がある人が向いてる職業としてジャーナリスト(や経営者)が挙がっている。精神論より仕組みが防止に大事かと。
善悪ヒエラルキーという考え、さすが佐々木俊尚さんです。自分は大衆=弱者の味方だから権力を糾弾するのだ!と思い込んでいるジャーナリストの方々の顔が思い浮かびます。
「権力=悪と戦っていると思ったら、自分が権...
権力の話
被害者と加害者について
「私のほうが被害者にもっと寄り添えられている」「私こそが代弁できる」と思ってしまうのは、ジャーナリズムの傲慢であり陥穽でもある。私はそれを震災の時に思い知った。
「私のほうが被害者にもっと寄り添えられている」「私こそが代弁できる」と思ってしまうのは、ジャーナリズムの傲慢であり陥穽でもある」マイノリティ憑依の精神構造がここでも出てくるわけか :
被害者と加害者は、社会的な引力や斥力によってどちらにもなり得る故に一体表裏だ。
相手の加害性を糾弾することに落とし穴があることを日本のリベラル派は知るべきだ。/
すごく面白かった。意見や情報を伝える/拡散させる時、私はちゃんと自分の位置が見えているか?伝える人の背後に いつでも自分を見失う危うさが広がっていると思う。>
✨「お前が権力に立ち向かう時、権力もお前を引き寄せているのだ」✨良い言葉だ💡「善悪ヒエラルキー」(「『被害者』に近ければ近いほど、『加害者』から遠ければ遠いほど上位であるという階層である」)、敵と味方の二元論。「人権派」の罠
被害者と加害者、善と悪、権力と反権力は表裏一体。もしかしたら逆かもしれない…。
記事の後半にブログを引用されている「編集委員」も、震災当時にずいぶんひどい言動を繰り返していた。自省しなければ…的な記述もあるが、当時を反省するコメントはまだ聞いていない
マスコミ・ジャーナリストが自分たちが権力と認める日は来るのかなあ? /
意見し難い様に女性や子供をチラつかせて盾にしたりするから厄介。次世代へつけを回すなみたいなものも。いやその通りなんだけどそれだけではないだろうと落ち着けよと /
権力に対抗するとはどういうことか (佐々木俊尚) 【現代ビジネス】
自分が批判する側で居続けられるなら、楽だからネ。
自戒を込めて、多くの人に読んで考えて欲しい記事
U・ω・U
全ての
この人の立ち位置好ましい。
ので、最近は別アカでフォローしている。
“被害者はときに加害者でもあり、加害者はときに被害者でもある。悪だと思われていたものが結果的に社会に善をなしてしまう事例などいくらもあるし、逆に善を求めた行為が悪い結果になることも無数にある。そして双方とも、たいてい無自覚だ。”>
これ、後半すごいかも・・
"つまり、人権派ジャーナリストは自分たちが被害者に寄り添う絶対的な善であり、善悪ヒエラルキーにおける最上位の者である。もし暴力があったとしても、それは加害者である悪と戦う手段のひとつであると捉えていたのではないか。"
> 歴史に登場する悪を叩き、英雄を称揚していても、世界は良くならない。そうではなく、なぜそのようなことが起きたのかという構造を解読していくことでしか、社会は良くならない。
非常に読み応えがあった。タイトルに関連した内容に止まらず、さまざまなことに引きつけて読むと味わい深い。福島のこと、フェミのこと、ポリコレのこと、・・・。私たちの周りで起きていることは繋がっているのかも。
一般論としてはともかく(実際に被害者ポジションに陣取って、他人を攻撃しまくる人はいる)、性行為の強要といった酷いセクハラ行為とかは別の問題に見える。 / | 講談社…”
性暴力した人も実は善悪ヒエラルキーで善人面しているのに疲れ、自分の中の欲望をむき出しにする瞬間がほしかったのだと思う。欲望が表現に向かわず、目の前にいる人に向かった。自制心が足りなかった。→
言いたいこと全部まとめて1つに繋いで書きました!みたいな文章。てかジャーナリストだったの?ジャーナリストならまずは久保田氏などに取材するのでは?/相次ぐジャーナリストのハラスメント疑惑へのジャーナリストの一考察(佐々木 |
人との関係に上下を求めてもしょうがないのに、自分の位置を高いところにあると信じている人もいる。
敵対する下方の悪と戦っている限りは、つねに自分が上位の善であることは保証されているという思考に陥ってしまうのである。これは「被害者」に寄り添うジャーナリストに、無謬性をもたせてしまう。
”被害者に寄り添っている限りは、自分が加害者や悪になることなどありえない”という危険な思い込みについて。
自省した。
つまり親権力側のジャーナリストには、権力性があっても構わないという意味です。
「反権力を訴える人は、自分自身に権力性がないかを常に自問自答してほしい。「お前が権力に立ち向かう時、権力もお前を引き寄せているのだ」
反権力 正義のカメラ(ペン) 正しい事をしてる、そうゆう奴に限って「セクハラ・レ○プ」だの下半身犯罪が多い。

風俗関係のライターやカメラマンが、全然マトモ。
「権力と闘うのは正しいことだ」。だから「権力と闘っている俺は正しい」。そして「正しい俺のする事は何をしても正しいんだ」という思い込みがあったなら実に恐ろしいことだ
これは良記事
マスコミ関係者は100回読んで自省してほしい。そのペンやマイクは容易に「人を殺せる」権力であることを理解してほしい。
「お前が権力に立ち向かう時、権力もお前を引き寄せているのだ」
いま報道関係者だったり活動家だった理に対して、違和感を感じる部分を、言葉にしてくれた感じです。 /
極めて興味深い指摘。→
人と対応するとき、あとは思考的に大事。
なんつーか、思いやりの欠如?
女性にも人権があることを
忘れてるのかな。
性的対象である以前に、
ひとでしょう?
だから「克己に限る」のだ。己に克てないモノは易々と立場を逆転させてしまう。ただ、この問題の根底にも「弱いモノいじめ」の原理が働いている。なぜなら、自分より確実に力のあるモノにハラスメントができる訳が無いのだから。
薄々気づいていたことが明文化。“「被害者」に近ければ近いほど、「加害者」から遠ければ遠いほど上位であるという階層である。「どちらが被害者に近いか」を競争するという、おかしな事態になってしまうのだ。” / “相次ぐジャーナリストのハラスメント疑惑へのジャーナリ…”
このくそ複雑な世界を分かりやすく説明してくれる善悪二元論の誘惑

その誘惑に負けず、複雑さや矛盾を受け止め続けることが重要なのだと思う
良記事としか表現しようがない。権力と向かい合うとは。そして善悪ヒエラルキー的な思考の陥りやすい罠とは。冷静でバランスの良い思考力と分析力。そして渦中の人々の人間性を決して否定しない。尊敬できる数少ないジャーナリストさんだなあ。
良記事。「記者は正義」となんの疑問も無く宣ったジャーナリストと、それを擁護どころか加勢する同業者達を見て、これ程までに記者のレベルは落ちてるのかと驚嘆したのを思い出す。
とても深く共感できる。何だか佐々木さんに代わりに言ってもらったぐらいな気もするな(^ ^;
リベラル気取ってる人達は一見やな。
井沢氏と亀田先生のやりとり見てると最後の言葉がなおのこと味わいぶかい。
歴史に登場する悪を叩き、英雄を称揚していても、世界は良くならない。そうではなく、なぜそのようなことが起きたのかという構造を解読していくことでしか、社会は良くならない。

本件は単にクズが私欲を満たす手段として被害者を利用し隠れ蓑として人権派の皮を被ってただけで、どっちもどっち論に帰結させるのは危ういと思う。 /
理不尽な世の中でも自分の身は自分で守らなくてはいけない。大事なのは自分自身の態度です。
正解のない時代をどう生きるかが問われていると考えさせられました。
反権力を唱える側が権力側になっているという。ジャーナリズムの現場のみに言える話ではなくそこらじゅうに実例があるような気がする
相次ぐジャーナリストのハラスメント疑惑へのジャーナリストの一考察(佐々木 | 講談社

"被害者に近い場所は圧倒的な善であり(略)敵対する下方の悪と戦っている限りは、つねに自分が上位の善であることは保証されているという思考に陥ってしまう。"
「なぜそのようなことが起きたのかという構造を解読していくことでしか、社会は良くならない」
「自分は相手の事をわかっている」という絶対的善に基づいた行動が人間の間のコンフリクトを生む、みたいな話に近い気がした。18歳の時にハラスメント、という事を知っておいてよかった。「自分は相手の事をわかっていない」をベースに接するよう毎日心掛けたい
「自分は善に立つものだから、何をやっても(言っても)いい」って倒錯した状況になるんですかねぇ。セクハラはともかくとして、ジャーナリスト発の数々のデマはそんなところが背景にありそうな気がします。 / “相次ぐジャーナリストのハラスメント疑惑へのジャーナリスト…”
敵か味方かだけなのか?「絶対的な善」たる思考の危うさ。
Discover(Google)から
とても共感する。原発事故後にも、記事で指摘されたジャーナリストに近しい方々からしばしば「加害者」「被害者」の仕分けが行われた。同じ被災者でも、烙印次第で全く異なる扱いを受けた。
白いお米は美味しいけれど、白い米食ってる俺つええってのは違うよね、くらいな話。それが見えなくなるっていうのが人間のアレさ。 |
“ 反権力を訴える人は、自分自身に権力性がないかを常に自問自答してほしい。「お前が権力に立ち向かう時、権力もお前を引き寄せているのだ」”
最後の方のおしどりマコの下り、お前が言うのかって笑ってしまった
佐々木俊尚さん、自分をまだジャーナリストだと思いこんでいることに朝から本気でびっくりしてしまった。
"被害者はときに加害者でもあり、加害者はときに被害者でもある。悪だと思われていたものが結果的に社会に善をなしてしまう事例などいくらもあるし、逆に善を求めた行為が悪い結果になることも無数にある。そして双方とも、たいてい無自覚だ。"
常に現政権や大企業の側に立ったポジショントークをしてる人間がジャーナリストを名乗り、こんな立派な記事を書く。沖縄の民意無視の首相が「沖縄に寄り添って」などと平気で言う。反権力を標榜する人たちが権力者として女性を虐待する。自分には同じ類のインチキに見える。
おもしろかった
読んでいて権力というものが持つ一種の宗教性を感じた
権力自体が御本尊になり、人はそれを自覚しにくい
「反権力を訴える人は、自分自身に権力性がないかを常に自問自答してほしい。「お前が権力に立ち向かう時、権力もお前を引き寄せているのだ」」 /
「「被害者抜きの加害者」論は加速すると、「善悪ヒエラルキー」とでも呼べるような奇妙な構図をつくり出すようになる。/「どちらが被害者に近いか」を競争するという、おかしな事態になってしまうのだ。」
以上

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