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「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと(林 智裕) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

108コメント 登録日時:2018-12-19 06:18 | 現代ビジネス[講談社]キャッシュ

『「スピリチュアル女子」をあざ笑うすべての人に言いたいこと その揶揄の先に待ち受けるのは、分断だ』───。「現代ビジネス」で12月6日に掲載された、小池みきさんによる上記の記事を興味深く拝読させていただきました。特に、記事の中に出てきた「揶揄は、揶揄されている側を意固地にさせ、考えをより先鋭化させてしまう、ということである」こうしたコミュニケーションの難しさへの指摘には...

Twitterのコメント(108)

190万人近くが普通に生活している、放射線による健康リスクも他地域と変わらない、避難区域外の福島での現実を頑なに無視して侮辱する青木記者の「スピリチュアル」記事を念頭に置いてこの記事をもう一度読んで頂けると、今そこにある深刻な問題が浮き彫りにされるはずです。
①2018.12.19 林智裕氏
「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと〜「分断」を避けすぎるリスクと向き合う
原発・放射能問題と、スピリチュアル/占い/オカルト商法の抱える共通点と問題が書かれていました。

スピリチュアルは、本来「愛の法則」

辛い気持ちを抱える人たちを支え、明るい未来を示すもので、奪ったり依存させるのは間違ってるって私は思います...。。
これやな!ヽ(ν_ν*) めんどくさいので一枚目で読むの止めましたw
デマやフェイクニュースに「毅然として」対応することは、攻撃して揶揄して笑いものにすることではない。「公益性」の名のもとに、ストレス解消の娯楽 (例:放射脳呼ばわりしてスッキリ)を擁護しているように思えて、釈然としない。
筆者はおしどりマコへの裏どり取材もせずに記事を書いて謝罪に追い込まれた方だが、この記事で「放射能デマ」「呪い」と断罪している対象には取材や対話を行ったのだろうか。同じ人間として見ているだろうか。/
嗤わずに、有害なものだけ、否定する。

神は妄想であるが、初詣は欠かさない。緩くてもいいじゃん。
最近知ったんで、めも。
(資料)
福島在住であるという武器をもたせ、健康被害も復興も終わっていると書く。こんなこと書いていいの? やっぱり自分の身は自分で守るしかないのだとあらためて思う。
個人の救いの範疇ならともかく公衆衛生への脅威になってる現在それは公共の福祉の観点から弾圧すべきものでは?
この記事自体良いのですが気に入らないのは現代ビジネスのスタンス。
小池みきさんに記事を書かせておいて批判が強かったらバッシング記事を自分のとこで書くって⁉️
原発事故に始まる福島バッシングを取り上げつつ加害性有害性のあるスピ系への対処について
"「事実に対して誠実であること」、「心の拠り所となるものを増やし続けること」、そのどちらが欠けてもいけません。私たちが「分断」を超えてでも取り組んでいかなければならないのは、実はそうしたこと"→
「スピリチュアルきもい金無いおっさん」も守って欲しい /
私の問題意識や小池みきさんたちへの違和感、それからやろうとしてる戦い方、完全にこの記事に同意です。
放射能忌避に反原発に反ワクチンに代替医療をまとめて「スピリチュアル」の箱に突っ込んで批判するのって驚くばかりに非論理的かつ非科学的な態度だと思うんだけど。これ「お気持ちヤクザ」となにが違うの。 / "「スピリチュアル女子は守られ…"
分断の何が悪い?
馬鹿の自爆に巻き込まれない世界に生きたい。
元記事はそんな議論をしてないと思うのだけど、コメントがそういう論争になってるってことかな…?現代ビジネスは自媒体内での「ちょっとズレたコールアンドレスポンス」を時々やりますね。 / "「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論…"
さすが、林智裕先生ですね。放射線関係の風評加害者の振る舞いをスピリチュアル女子に例えるとは、見事。やたら強い信念を持っていて、さらに、それを押しつけるが故に周りに迷惑を掛けている所、似ています。
読みました。
「警鐘の担い手」という言葉と「藁をも掴む」の「藁」が印象に残った。
〈スピリチュアルに批判的な言説について「単に『異物を揶揄する』こと自体が面白くて、そこに力を入れ始めてしまう」とする分析には、福島で「独自の信念」をもつ人たちからの激しい攻撃と被害を生々しく目の当たりにしてきた身としては、賛同できかねます〉
小池みきさんによる元記事と両方読んだけど、こちらの記事の方により共感する。分断を避けることによって社会全体を危険な方へ導いてしまう危機が小池さんの記事にはなかった。
うむうむ

"「事実に対して誠実であること」、「心の拠り所となるものを増やし続けること」、そのどちらが欠けてもいけません"
そしてこれもわかる 先ほどの記事とは微妙に衝突する内容にも見えるが、それぞれの筆致はそもそも揶揄とはほど遠いので、セットで読めば我々のありようを丁寧に模索できる気がする。あわせておすすめ
ようは、国語教師を死刑にする法律を作れば良いだけだと思う。そもそもこのような問題が発生しない。
福島でネルソン・マンデラの主治医が開発したネズミ講サプリが広まってるという話を某所で聞いて、人の弱味につけこむのはいけないなとは思った。
改めて読もうとして出オチにガックリ😖⤵️

「この7年以上の間、調査にもとづく科学的なデータや蓄積された知見を頑なに否定し続けている人々。」
「スピリチュアル」「スピリチュアリズム」と「反ワクチン」「福島の風評被害の加害者」が重ね合わされている。「スピリチュアル=反ワクチン」かどうかだけとっても、実際に調べなければいけないのではないか。
藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない

確かに名言だ…。
【引用】"そうした「呪い」と戦うことを措いて、「分断」を過剰に問題視して新たな対立を生むことは、実際的なリスクを矮小化させ、不幸を温存するばかりか拡大することにつながる"
くだらないことをぐちゃぐちゃ書いてないで東電の責任を問うたらどうか。
『溺れる者は藁をも掴む』と言うが、藁では助からないのも自明。
ところが、溺れる人に藁を投げて『見よ!彼は私を必要としている!』と豪語する者が居る。デマを流すカルトや、活動家さんだ。➡
意図的に(ビジネスとして)洗脳じみた事をしてる「胴元」の事は徹底的に叩く。
洗脳されて胴元のお客さんに対しては柔軟性を持ち時間をかけていく。
という使い分けは必要だと思うよ。
本人の責任では無いことでいじめなどあってはならない事なのに、福島が原因ではない原発事故に関しては福島や福島県民への非難は理不尽に放置されていると感じる。
スピリチュアルっていうから何かと思いきやもはやカルトやん

何事も極端はあかんて。
ほどほどにせんと、我が子可愛さでまもらなあかんってゆうて避難に離婚に家庭崩壊って本末転倒… 笑
部落解放同盟が、公的機関のカレンダーに六曜が表示されていたことを非難していたのを思い出した。スピリチュアルへの妄信が差別につながるという論理は、あながち的外れといえない。/
このテーマでいつかイベントやりたいのだが、どう出すか悩む。よく読む。
「罪を憎んで人を憎まず」じゃないですけど、実害がある部分はきちんと対処しつつ、冷静で節度ある批判をするべきでしょうねぇ。>
メモ: 「分断」を避けすぎるリスクと向き合う
かつてのママ友がまさに「極端な脱被曝志向に陥ってしまった人」のケース。高額な安全な食品を買いあさったり移住してもヒステリックに放射能の恐怖を喧伝するから孤立してまた移住を繰り返したり。
太古の昔から「魔女狩り」はあったわけで、別段驚く必要もなければ、新たに対策など講じられる話でもない。ようするに、経験上、真にスピリチュアルに目覚めた人はひたすら黙っており、軽々に他人に口外などしないものだ。:
そもそも「スピリチュアル女子は守られるべき」とか「溺れる人が藁をつかむ権利」とかを主張している人がいるのかという疑問が。/
林氏はファクトチェック福島でのヘイト関係でまさに『「独自の信念」を持つ人々』として化していたわけだけれど、いまなお自身が独自の信念に溺れていることを自認できずにいるんだろうな。。。 / "「スピリチュアル女子は守られるべきか否か…"
題名のテーマから反原発と福島の風評被害について。とても的を射ていると思う →
こっちの方が丁寧だなと思う。あの記事は自分の中で整理がついてないぐちゃぐちゃのものだった。
「嘲笑されるべきか」の立論が「守られるべきか論争」に回収される空気に便乗してるわけか。
最近はめっきり言わなくなったけど中学入ったくらいの頃から母親がオーラがどうとかスピリチュアルがどうとか言い出してたのを思い出した。当時色々不幸が重なったから本当にキツかったんだろうな。
結局、何においても暴走する群れと操作的な介入は決して無くせない。「なにが」「いずれかが」ではなく「いかに」の判断に留まり続ける意志が大切。:
「溺れる人に必要なのは「藁」ではない」そのとおり。ちゃんとした救命具であるべき。それが本当に守られるということ。 →
いい記事。
「スピリチュアル女子」の心を守ることや分断を防ぐことも大事なんだろうが、それ以上にデマを拡散させないことや、ワクチンを打つことで守れる命を守ることのほうが圧倒的に重要だろうに。
概ねそのとおりだろう。しかし私は、事実ではないことを恬として恥じずにand/or自己の利益のために唱導して害悪を撒き散らす人々をこそ憎むのである。林智裕氏の論考。>
スピリチュアルが幅を利かせているというのは社会が腐っている事の裏返しでもある。中世ジャップランドの腐った現状を皆で変えていく事に力を合わせないとならない。社会が健全化すればスピリチュアルに居場所はない / "「スピリチュアル女子…"
どう生きるか
「分断」を恐れて、福島県内外からやってくる「呪い」と戦うのを諦めたら、いつまでたっても福島の現状が良くなる訳がない。
これ本当に記事の通りで、元記事のライターはあまりにも「実害のあるスピリチュアルビジネス」に無知すぎる /
←何言いたいのか、サッパリわからない。
自然食界隈も同じ。

>客観的な事実の指摘や言説への正当な批判までも、「暴力」「悪」とレッテルをはられることにつながりかねません。

>そして、攻撃された「被害者」は、自分たちを「保護」する人たちへの依存をますます深めてしまうことでしょう。
最後まで読んではいけません。
椅子からコケること請け合いです。

ちなみに、これが、その最後の部分。w
(小菅信子『放射能とナショナリズム』より )
あまりに我田引水すぎませんか。わたしは女子という言葉は嫌いですが、なぜスピリチュアルが女性と結びつくのか、それが(この話題にはふれたくないけど)フクシマのあとにきたのか考えるべきだと思う。
(小菅信子『放射能とナショナリズム』より )
スピリチュアル女子なんて有害でしかないでしょ、反ワクチンのキチガイのことでしょ?
奴らの差し出す藁けっこう高価だしな
"しかしながら、それでも、「『分断』を避けるためなのだから、無関係な人にリスクや被害を強いても仕方がない」ということにもならないのです"
非科学的な言説に対しての嘲笑は、更に相手を意固地にさせてしまう。
なるほどなあ。
このネット社会なご時世でなんでかと思ってましたが、あれは新興宗教へハマっちゃうメソッドと同じなのね。
「分断」を避けすぎるリスクと向き合う
最後の引用文がすべてですね。

藁にすがってしまったが故の様々な不運や不幸は、本来は防げたものだから。
「デマは人を殺す。暴言は人を萎縮させる。藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない」同感。-
この問題の本質は、この言葉に集約されるのではないか─
「デマは人を殺す。暴言は人を萎縮させる。藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない」
当人にとってはかけがえのない「救い」や「癒し」でも、同意しない人や批判する人には不幸になる災いが起こると決めつける「呪い」になってしまうというのが厄介なところです。
カルト化した人間は守る必要ないと思うし分断していてほしい|
あれだけ批判された意見に対しては何も答えることなく、似非スピリチュアル批判を原発の風評と同等に扱うのか。
こういう記事を書いてスピリチュアル系詐欺集団の経営危機を救おうとしてるのか?
>>デマは人を殺す。暴言は人を萎縮させる。藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない
「藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない」
コレ
内容はデマと代替医療で、スピリチュアルとはおよそ無関係。スプリチュアル自体はいいと思いますよ。心の支えになる範囲までなら #スピリチュアル
スピリチュアル女子の事を書いているだけではない
色々に通じる事
広く広く読まれますように。
スピとフェイクニュースと代替医療を勧める行為は世界に先駆け麻薬と同じく禁止にすべき、アメリカが奴隷を法律上禁止できたように、日本が戦争を法律上放棄できたように、内心のみで嗜む行為にすべき / "「スピリチュアル女子は守られるべき…"
オカルトに取り込まれてしまった人って、本当はその人たちも被害者だよね。いわばカルト宗教に洗脳されている状態だから、これ以上自分や他人を傷つけないために必要なのは脱会セラピー。
「デマは人を殺す。暴言は人を萎縮させる。藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない」(小菅信子)
"大事なのは、そうやって「溺れる人が藁をも掴む権利」自体を護ろうとするよりも、藁の代わりに掴める別の「希望」を、拠り所を、一つでも多く社会に増やしていくこと"
「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと(林
遺伝子組換作物が遺伝に影響、みたいな見当違いの批判を思い出すな。動物食おうが植物食おうが、そこに人間とは違うDNAが入ってるわけで。組換の結果、人体に有害な物質が生成されているかもって批判なら、確率的にほぼないけどまだマシ
スピリチュアル女子といえば聞こえは良いけど単に無知で算数が苦手なお馬鹿な人たち。いまだに霊とか呪いを信じてるレベル。
どんと祭で無病息災を祈る行為と極端なスピリチュアル、どこが違うかと言うとやはり藁を藁と思わずに掴まされているかどうかだろう。心に響く記事。小菅先生の言葉も含め色々考えさせられた。
「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと-林智裕
>なにより大事なのは、そうやって「溺れる人が藁をも掴む権利」自体を護ろうとするよりも、藁の代わりに掴める別の「希望」を、拠り所を、一つでも多く社会に増やしていくことなのです
良記事なので多くの人に読んでほしい。
とても抑制の効いた理性的な論説。極端なスピリチュアルも反ワクチンも反放射能も、どれかにハマる人は不思議な事に、全部の落とし穴に次々と落ちて行くのですよね→
《藁にもすがりたい人を藁なんかにすがらせてはならない》

知識という名の救命具をどのように渡せるか。その上で藁を掴んでしまった人をどうケアするか。
「デマは人を殺す。暴言は人を萎縮させる。藁にもすがりたい人を、藁なんかにすがらせてはいけない」→
なぜか途中で泣けてきた。また後で、改めて読ませてもらいます。 /
藁をつかんだ人……
藁しかつかめなかった人がその握った藁を放すのは難しいんだろうなぁ
自身には藁しかないんだもの
こんな論争があったとは知らなかったわ
福島で農家として長年生きてきた私の祖父は、原発事故後に、「食べて応援はやめよう」「フクシマの農家は人殺し」といった心無い言葉やデマが飛び交う中、「死にたい…」と何度もつぶやき、失意のまま他界しました

「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと
内心の自由がある。当人の中での信仰なら好きにすればいい。ただし、その発露が科学と衝突するのなら、私は科学の側に立つ。
批判的な言説を「『異物を揶揄する』こと自体が面白くて、力を入れ始めてしまう」とする分析には、福島で「独自の信念」をもつ人たちからの激しい攻撃と被害を生々しく目の当たりにしてきた身としては、賛同できかねる

スピリチュアル女子は守られるべきか否か
幼いお子さんをお持ちの方々は、この記事の三ページ目からだけでいいので読んで下さい。
素晴らしい記事
「問題はあくまでも、人々の祈りや祝福の文化であるはずだった「スピリチュアル」が、現実から離れた「独自の信念」によって....不幸を生み出す「呪い」へと変質しまった場合です」
この記事読んで改めて思った事は、スピリチュアルを呪いに変質させている連中は、呪いを自身の金儲けの手段としている事である。そんな「藁」に縋ったら、人生は滅茶苦茶になる。
とても大事な内容と思った→
この感じを共有できたらいいな。
"藁の代わりに掴める別の「希望」を、拠り所を、一つでも多く社会に増やしていくこと(中略)
それはたとえば、医療の発展や技術の向上はもちろん、より心のケアを受けやすい環境整備、あらゆる暴力や人権侵害、格差などを減らしていく努力…"
偶々夫のアメリカ駐在があったから否応なく反ワクチンではいられなくなったけど、スピリチュアル全否定は今もしていない
それしかない、と思い込まない事
他人にもそういう伝え方をしない事
それは何にでも通じるのだけど 気をつけたいと思う
記事に対して記事で意見できるから、たまに馬鹿な事言うけど現代ビジネスってかなりまともよな
スピも放射能デマも現実的な対応は「住み分け」なのかな、って思う。それが「分断」に見えちゃうんだろうな。個人の自由で信じる限りは誰にも止める権利は無いんだよね。
林さんが亡くなった祖父を出して書かれてるので、トンデモ健康法で命を落とした母を思い出しながら読んだ。
「善意」ってなんだろうね。
少なくとも本文にあるように「溺れる人に必要なのは「藁」ではない」って事は意識して欲しいよね
U´ ω`U
@Nonbeekaeru さんには申し訳ないと思っているが、スピリチュアル女子なんて只の ですよ。せめて、巧く生きられるために @takashinemoto81 さんの元で修業させるべきですわ。
今回の記事では、「独自の信念」を持ってしまった方々とのコミュニケーションとその課題、目指すべき方向性について、福島での実例を添えて考察してみました。ご参考になれば幸いです。
以上

記事本文: 「スピリチュアル女子は守られるべきか否か」論争に思うこと(林 智裕) | 現代ビジネス | 講談社(1/4)

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