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私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」(國分 功一郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

76コメント 登録日時:2017-04-02 07:10 | 現代ビジネス[講談社]キャッシュ

「する」と「される」――能動と受動の世界をあたりまえに生きている私たち。しかし、歴史をみれば、「する/される」では語れない「中動態」というものがあったのです。中動態って何? それは能動と受動の中間なのか? そして、なぜ消えてしまったのか? 哲学者・國分功一郎氏による特別寄稿!...

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そして、この青野さんの意思決定や、ティール組織の「Purpose」という概念は、哲学者の國分功一郎さんの『中動態の世界』の中動態という概念ととても近いと思った。
この本読みたい。この人の「暇と退屈の心理学」も面白かったし、、こっちは割と難しそうだけれど。中動態。
「する」でも「される」でもない世界である中道態。
責任の所在を明らかにするための能動態、受動態よりも心を感じる。
なかなか興味深く読みました!
喧嘩して「ごめん。これから頑張る」と言われるたびに國分功一郎の顔がよぎるから、喧嘩に集中できない。
「中動態」という言葉を初めて知った。
すごく面白い。読む本リストに入れる。
中動態とは➡︎ 次の通りにある通り、色んな要因が機微に関わり、選ばされる、または成立する作用とも言えます。
うわあぁぁぁ!

中動態という言葉を知って、「誤解を与えてしまったのなら謝る」がそれ謝罪じゃねーよ。って思うカラクリがよく分かった。能動態としての謝罪じゃなくて中動態の謝罪が欲しいんだ。
友人がシェアしてた記事。
かつて、行為や出来事は今とは全く異なった仕方で分類されていました。いまのように能動と受動でこれを分類するようになったことの背景には、おそらく、責任という観念の発達があります。
する、されるの外側。なるほど。/
言語学者エミール・バンヴェニストが、能動と受動の対立というのは、一度これを知ってしまうとそれ以外のものが認められなくなるほどに強力だけれども、少しも普遍的なものではありません。

能動態と受動態の対立ではなくて、能動態と中動態の対立だった。
@blue_light9 私の場合、
記憶がせいぜい数週間なのでw
録画を消さないで
いいものは何回かみて覚えるようにしよう!
コメンテーターの國分 功一郎は
結構、話がうまいしいい男w
『中道態の世界』という本を出版して
読んでみたいが、まだ未読。
中動態、そろそろちゃんと読んで勉強してみようかなという気持ちになってきた。
中動態について 非常に
わかりやすく説明されています!
「中動態」の概念、おぼろげに自分なりにつかめてきたかも。これは面白い!
楽になった
@ochitsukiganai3 児童養護施設でもよくあります。集団生活だと当然問題も増えますしね。問題を再度起こさせないようにと指導して反省させる。本人の内省が深まることが大切なのに、それがする/させるの関係の中で反省の態度を求めることに目的が変わっていくんですよね。
本読んでみようこれ。
面白い。
「謝罪において求められているのは、単に私が謝罪の言葉や動作を示すことではありません。私の中に謝らなければならないという気持ちが現れることこそが大切なのです。」→「中動態」をもっと知りたいと思いました
私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」国分功一郎 現代ビジネス2017年4月2日
中動態というのは、英文法でやった能動態・受動態の仲間です。かつての言語では、能動態と受動態ではなくて、能動態と中動態が対立していました。
構えないこころの中動態?
受動と能動の他に。
昔の文法にあった中動態。
責任と関係の深い能動態?
◆刊行直後、書店で立ち読みするも判読能わずの世界と推読!言葉の根源性?白川静、ブーバー、吉本隆明……
「『謝る』も『仲直りする』も、ある気持ちが心の中に現れ出る事態を指しています。これはちょっと考えれば分かること…でも、実際にはあまり理解されていない…」
中動態はもっと理解を進めないとなぁと。自動態と受動態では説明できないものが周囲にいっぱいなので。
「心に生じる」は確かに能動でも受動でもありませんね。
真面目って徳だからね。

馬鹿にする傾向あるけど、間違ってるよ。他者に評価されるべき軸だと思われるけど、搾取側に都合の良い真面目さの話ではなく、真面目に「生きる」って何なのか動態哲学しながら模索する事。

こんなのもあるのね。
「いや、仲直りしたいからじっくり話し合うということはできるのですが、仲直りという出来事そのものは、相手にもう一度心を開こうという気持ちが互いの心に現れなければならない。」
日韓の謝罪の問題へのひとつの考えになるのではないかと思った
國分功一郎「僕はつい最近まで人に謝ったことがありませんでした。もっと正確に言うと、謝るということがどういうことなのか全く分かっていませんでした。」
加害と被害に分けにくい実体。
昔から言われてきたことですが、その違和感を中動態という言葉にまとめられた国分さん。
気になりメモ。
自分も仲直りしたことありません。

「僕はつい最近まで人と仲直りしたことがありませんでした。もっと正確に言うと、仲直りするというのがどういうことなのか全く分かっていませんでした。」
「責任の観念と結びついている以上、能動と受動の区別を易々と捨て去ることはできません。しかし、この区別が決して普遍的ではない、それどころか、かなり不便なものであることも事実です」
私たちがこれまで決して知ることのなかった中動態の世界
言語学徒が見れば、世界に中動態的なものは沢山あるし、中動態そのものも、世界を見ればありますけどね。主要言語には見えないだけで。
話題の中動態の世界。
中井久夫さん的に表すなら、仲直りは元の状態への修復ではなく新たな関係の構築になるんじゃないかな。(元に戻るだけではやはり何かしら不安定だから喧嘩になったと思われる)
これ読んで一瞬國分先生怖い…ってなったけど、よく考えたら自分も「謝る」ってなんなのかよくわかってないなと思った…
発売即重版となった本書を上梓した哲学者・國分功一郎さんが「謝ること」を例に「中動態の世界」の入り口にご案内。
する、されるではない概念があるのか。これ絶対買おう。
”突然ですが、皆さん、人に謝ったことがありますか?
僕はつい最近まで人に謝ったことがありませんでした。もっと正確に言うと、謝るということがどういうことなのか全く分かっていませんでした。"
「これまで一度も人に謝ったことがない人、これまで一度も誰かと仲直りしたことがない人というのはそれなりの数、存在しているのではないでしょうか。」一度も、とは言わないけどいるね。
國分先生の本買ってきた。オザケンの新譜「流動体について」とまざって、ずっとタイトル「中動態について」って言い間違えてた。
「する」と「される」の外側へ
→「私」の殻に凝り固まって、融通無碍で深い関係性を見失いがちな現代人に読んでほしい言説。
意識するっていう表現は厄介そう...
「謝ったから許される?」「謝ってもらったけど許せない!」そういう感情が理論的に説明されている本なのかな?メモ。//
《コラム》 「する」と「される」の外側へ
国分さんの別の本面白かったのでこれも読みたい
今日のミーティングで出てきた「コントロールする・される」とか「責任者不在・無責任・自己責任」も、そうなのかな。

國分功一郎
自分が「コミュニケーション能力が高い」と呼んでいた人達は、単に能動的な接し方をしてくるだけの人なのかもしれない。中動態という相手がいないと成立し得ない行動をしていると気付ける事が大切なんですねきっと
『僕はつい最近まで人に謝ったことがありませんでした。もっと正確に言うと、謝るということがどういうことなのか全く分かっていませんでした。』
哲学書なのにおもしろすぎる。すでに今年一番の読書体験!
面白そう。メモ
自動詞のことと違うのか?/
面白そうな本だな。買おうかな…?
ちょっとよく考えてみたくなる話でした。
「あまえと義理 ---日本人の心の構造---」小池利正著 鳥影社刊 に、
「義理は相手本位なものであって、常に相手に自分を接続するというか、合致させる」もので、それはどのようにして可能かというと、(つづく)
子どもの頃「もう絶交ね!」の後すぐに「さっきはごめんね」を繰り返した。さっきはごめんねを言い合った時の、あの気持ちよさを思い出す。
「いまのように能動と受動でこれ(行為や出来事)を分類するようになったことの背景には、おそらく、責任という観念の発達があります」 / “ |…”
「中動態の世界に関するさまざま問いをスリリングにひも解いていく『中動態の世界』(医学書院)が大きな話題…哲学者・國分功一郎さん」の著作。〉 (現代ビジネス)
おもしろい。|「突然ですが、皆さん、人に謝ったことがありますか?」|
『重要なのは「私が謝る」ことではないから…』 >
《突然ですが、皆さん、人に謝ったことがありますか?》で始まる國分さんの自著紹介。不思議な中動態がぐっと身近になってきます。ぜひ!│
中国や韓国では「謝罪」を中動態として定義しているのかちょっと気になる。 / “ | 講談社(1/3)”
「する」と「される」の外側へーー國分功一郎
おおお國分さんが
哲学者の國分功一郎さんにご寄稿いただきました!ぜひ◎|
「能動と受動の対立というのは、一度これを知ってしまうとそれ以外のものが認められなくなるほどに強力だけれども、少しも普遍的なものではありません。…多くの言語がこの対立を知らないし…印欧語の歴史においても、この対立は比較的最近現れた」
感情は日本語では内から湧き出るという考え方を基礎としているが、英語では外部からの刺激を原因とする考え方を基礎としている(感情の動詞を含む文は英語では能動態か受動態のいずれかで表現されるため)。中動態は実は日本語の考え方に近い。
私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」「する」と「される」の外側へ(現代ビジネス)哲学者・國分功一郎さんが「謝ること」を例に「中動態の世界」の入り口にご案内。世界の見え方が少しずつ変わることになるでしょう。
中動態という、文法において、能動態でも受動態でもないルールがあるという。

能動態の「謝る」。受動態の「謝らせる」の二元論で表現できる事ばかりではなく、心から悪いと思っていて、それを謝罪として形に...
なるほど〜なかなかおもしろい →
以上

記事本文: 私たちがこれまで決して知ることのなかった「中動態の世界」(國分 功一郎) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)

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