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日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった[橘玲の日々刻々]|橘玲の日々刻々 | 橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方 | ザイオンライン

『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムを嫌いにならないでください』の著者、井上達夫氏(東京大学大学院法学政治学研究科教授)は、日本法哲学会理事長も務めた法哲学(正義論)の第一人者だ。井上氏の立場はリベラリズムだが、これは「リベラル」とはちがう。本書の帯に「偽善と欺瞞とエリート主義の「リベラル」はどうぞ嫌いになっ...

ツイッターのコメント(63)

Twitterに居る批判的なコメントばかり打ち込んでるアカウントがどうも苦手だった理由がなんとなく分かった
@io302 「間違った医学情報を拡散する人を私は放ってはおけません。」

井上達夫先生的な「リベラル」を見るようで感動しております。
「内政問題と見なし、介入を手控えた。」結果→
日本の“リベラル”は「異形の思想」~
現実は、反日基地外『売国』左翼革マル+支那・朝鮮のスパイ
日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノ|
おかしなリベラルによって本来のリベラルが曲げられているという記事
「天皇・皇族に職業選択の自由がなく、政治的言動を禁じられ、表現の自由もない…「最後に残された奴隷制」以外のなにものでもない。天皇制は反民主的だからではなく、民主的奴隷制だからこそ廃止しなければ」 / “日本の“リベラル”は、世界…”
日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった[橘玲の日々刻々]|

世界標準のリベラリズムと日本のリベラルはまた別である。という記事。
でも、世界的にも「リベラリズムとリベラルは別物」となりつつある
日本のリベラルは啓蒙と寛容における、啓蒙が欠損してるらしい。群衆が攻撃性を持て余してる
傾聴に値する卓見。一読を乞う >
100%賛成。こういう人間のことをリベラルというべき
( 転載)似非リベラルが日本の教育や言論を牛耳っている?。
古い話題だけど備忘メモに残しておく。この部分ね。> この正義の基準(正義概念の規範的実質)は、「反転可能性」「ただ乗りの禁止」「二重基準の禁止」だ。
これだ。井上達夫氏によると「世界標準のリベラリズム」は下記の「正義の基準」があり、「日本のリベラル」はこれがない:"「反転可能性」「ただ乗りの禁止」「二重基準の禁止」" ああ…(察し) / “日本の“リベラル”は、世界標準の“リ…”
「アベを許さない」と言ってる人に自分が抱く疑問に1番近い。
【Smart Tactics On Off情報センター】
ぐうの音も出ない。
>この正義の基準(正義概念の規範的実質)は、「反転可能性」「ただ乗りの禁止」「二重基準の禁止」だ。


日本で自らをリベラルと宣う人でこの基準を守れている人っているのかしら?
日本のリベラル気取リストどもに読んでもらいたい。
ドイツは、自分たちの戦争責任の追及を、日本によりもずっと立派に行なった」というのは「神話」だと述べる。
@yobu_dai
自称リベラル差別主義者はこれを100回音読すれば良いよ
参考になった
リベラルねぇ。なるほど。
本当これww
@kenichiromogi 人権尊重を掲げるリベラル派が、自分たちの政治目的を実現する手段として、人権を剥奪された皇族方を利用する矛盾。気が付かないんでしょうね。

日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノ
何度読んでもいいわ、この文章。

ONLINE海外投資の歩き
リベラリズムとはなんぞや。井上達夫も読んでみたい。橘玲
@ZAi_Tachibana
日本のリベラルは異形の思想
日本の “リベラル” は、世界標準の “リベラリズム” とは別モノだった:橘玲の日々刻々
その視点はなかった>“天皇・皇族に職業選択の自由がなく、政治的言動を禁じられ、表現の自由もない 主権者である国民が天皇・皇族を奴隷化 「最後に残された奴隷制」” / “日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだっ…”
>「リベラルといえば、何が何でも自己否定の土下座外交、というイメージを生んでしまったのは、そういう運動です。それに対して「自虐的だ」という反発が起きても無理はない」
【】『日本のリベラルは"異形の思想"』【保守層にも】
By の法哲学者、…
「リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください」って本が出版されているのですね。紹介サイトって何やら日本リベラルへの破門状っぽい気も
「日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった」
一考に値する意見だろう⇒
…賛否はともかく冷静に読んでみて欲しい記事です。
残念ながらリベラリズムは不可能な理想論だと思う。共産主義と同じで…/ 日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった|橘玲の日々刻々 |
「日本のリベラルは、世界標準のリベラリズムとは別モノだった」 
 
「日本がドイツにくらべて戦争責任の追及をしっかりやっていないと言われるのはおかしいです。日本のリベラルではそう思っている人が多い。それはあまりにもひどい自己否定ですね」
日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった[橘玲の日々刻々]

啓蒙は理性の独断化、絶対化によって、スターリンによる強制収容所国家や、3000万人が餓死したとされる毛沢東の大躍進運動・文化大革命を招いた。
段々関係のない話になるけど、本題は興味ある話。学びと啓蒙無く我流が蔓延するウザさと言ったらない。
日本のリベラルは世界標準のリベラリズムとは別モノだった 他の思想を貶す形にしてるのが残念だけど、原理的思考はわたしも良くやるので他人事とは思わないようにしないとなぁ。
ごもっとも。
反転可能性というのは、自分が受け入れられないことを相手に課してはならない。
「ただ乗り(フリーライド)の禁止」は、コストを払わずに利益だけを得るのは不正だ。「二重基準の禁止」は、ダブルスタンダードを使ったご都合主義を許さない
日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった[橘玲の日々刻々] @ZAi_Tachibana
読まずに読んだ気にさせてくれる、ある意味営業妨害的本の紹介。よくわかった。
"反転可能性というのは、自分が受け入れられないことを相手に課してはならないというルール。自分と相手の立場を反転させて、それでも許容できることだけを相手に要求できるのだ。">これできてるリベラル見たことないっすねw
"「リベラルが、言っていることとやっていることが違うという、ダブルスタンダードを見せたら、リベラルの主張そのものが自壊してしまう」のだ。"
なるほどこれはおもしろそうな本だ。 / “ | ザイオンライン”
まあ、リベラルに寛容さはみじんも感じないよね / “ | ザイオンライン”
@ak_tch こちらですね。
ふむ ( ̄- ̄) /
中々に興味深い
ZOLに「日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった」がアップされました。 法哲学の第一人者、小林達夫氏の新刊の書評です。安保法制の憲法問題で、きれいごとの議論にうんざりしている方はぜひ。
日本の“リベラル”は、世界標準の“リベラリズム”とは別モノだった。
アジア女性基金のように、法的責任について争いがあり、道義的責任としてではあれ、戦争責任の問題にここまで踏み込んで、他国民に賠償・謝罪した例はないはずです。
以上
 

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