『竜とそばかすの姫』フィクションで描かれる「間違った正しさ」と、それがもたらす救い【藤津亮太のアニメの門V 第73回】 | アニメ!アニメ!

ツイッターのコメント(20)

「これについて、割り切れる、割り切るべきだ、という方はここから先は読まなくてもよいと思う。それはそれでひとつの生き方だ。」/『』フィクションで描かれる「間違った正しさ」と、それがもたらす救い【藤津亮太のアニメの門V
これ読むとマジで感動するから見てみ
竜とそばかすの姫の評論
私が『竜とそばかすの姫』の評価を低くしてるのは、「割り切れない正しさ」を否定しているのではなく、
「割り切れない正しさ」を描く演出が未熟だからなのよね~

『竜とそばかすの姫』フィクションで描かれる「間違った正しさ」と、それがもたらす救い【藤津亮太】
なるほど、現実的に見れば間違っている、でもそれゆえに力強い
「間違った正しい行動」か。藤津さんの文でモヤった部分がストンと落ちた。
僕は映画館で「これは愛し方がわからない人々の物語だ」と感じ、そこを中心にして考えていたんだけど、パッと別の視界が開けたよう。
「間違った正しさ」の話はその通りと思うし、虐待してた父親のリアクション考察はなるほどと。

ただ自分が違和感を感じる論点とは、少し違うなとも
個人的には苦しい言い訳に感じる
ここまで話題になってしまったのはその「間違った正しさ」の描き方に皆が違和感を感じてしまったからでは
つまり作劇として失敗している

『竜とそばかすの姫』フィクションで描かれる「間違った正しさ」と、それがもたらす救い
フィクションで描かれる「間違った正しさ」と救いの関係については本当にそのとおりだと思う。これは『竜とそばかすの姫』だけでなく、あらゆるフィクションに対している普遍のもので、だからこそ本作がそれを上手く処理しているか、というのは別の問題として存在する。
天気の子でもこうした「間違った正しさ」を叩く風潮があったけど、細田守も新海誠もめげないで欲しい。届いてる人には届いてるから
細田さんの作品にだけ感じられるモラルについてのあるリアリティが自分にはあってそれに何か触れている感じのする評。時かけ以後毎回道徳的な視点でサンドバッグにされてるのを見るが、それとは違う位相で一人称視点のモラルというか何か固有の問題意識をいつも感じている
うにー(良き評です。)
〈欠点を長所と足し引きして“帳簿”をつけるようなこともしない〉というのは、見習いたい点だ。
見かけた口コミでずっと感じてた引っ掛かりを見事に補完してくれた記事。
『竜とそばかすの姫』は面白いと自信を持って言える。
フィクションが「間違った正しさ」を描いてくれるからこそ、現実で答えのない自責にさいなまれることこそが、他利ややさしさといった「正しさ」の存在証明であると、信じることができる

『竜とそばかすの姫』フィクションで描かれる「間違った正しさ」と、それがもたらす救い
映画館で一回見ただけでここまで理解はできなかったけど、何度か繰り返し見たい作品ではある。IMAXとかの上映終わる前にもう一回行きたいんだけど感染爆発してるからグヌヌって感じ
そして今回の『』の原稿。「その場にいる自分にしかできないなら、なんとかしてあげたかった」という無念さだ。そしてこの無念は、フィクションで描かれる「間違った正しさ」によって救われる」
個人的には好きだけど、細田作品で監督が単独脚本した時に出る構成力の致命的弱点を弁護する論評記事ですなあ。
でもエピローグは欲しかったよねって延々言う。その上で、帳簿つけたら赤字な気はするけどテノヒラクルーはしたよって。/
作品は見てないのですが、この視点にはなるほどなぁ、と。まぁお話ですものね。それに共感できるかも人それぞれですが。
以上
 
PR
PR