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八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか – アゴラ

118コメント 登録日時:2019-03-26 07:13 | アゴラキャッシュ

八幡氏への忠告② 人生経験は歴史研究に益するか / 前回に引き続き、八幡和郎氏の反論に回答する。 人生経験は歴史研究に益するか 八幡氏は 呉座さんが分かってないと思うのは、自分が文献資料の分析だけのプロだということだ。だから、資料の発見とか整理や評価はプロのはずだが、解釈...

ツイッターのコメント(118)

どんな人生経験なら役に立つのか?
お笑いのセンスはあると思う。
呉座 先生が八幡氏をフルボッコにした最終章がこれ。
こんな八幡氏を新田 アゴラ編集長は『池田信夫、八幡和郎さん、藤原かずえさんらに匹敵する若い論客を探している。』 と記している。何か思惑があると疑う。(何もないなら理性を疑うw)今後もアゴラの記事は読みますが
フェイスブックのスクリーンショットを晒すのはマナー違反と私も思うが、それ以上に八幡氏が「たかが助教」という物言いでアカデミズムへの無知を晒したのは壮大な自滅だった。
「学」というからにはファクトをベースにしないとね。
「もし人生経験で歴史が分かるなら、わざわざ歴史なんて学ぶ必要はない。一人の人間が一生で経験できることなんて多寡が知れているからこそ、私たちは本を読み、歴史を学ぶのである」  ごもっとも。
<歴史なんてものは若い人には分からない。人生経験を積んでこそ分かるのだ>

「専門家にない視点が必要なんだ!」とアピールが始まったら要注意。
そんな主張が成り立つのは専門家と同等以上に先行研究や文献をよく調べていて、事実関係を把握できている場合だけだから。
「 人生経験は歴史研究に益するか」  八幡氏とのサシの論争にできずにネットから応援団を引用して自分の主張の支援に利用している態度は「歴史学者」としてちょいと恥ずかしいだろう。
”次の「天才」が現れることをお祈りでもするのだろうか

歴史学者が方法論をうるさく言うのは、方法論を正しく身につければ、誰でも一定の研究成果を出せるからである。”
盗作なんて言いがかりつけたんだから、速攻訴えればいいのに
この文章の最後にある「他人の品格をうんぬんする前に、まずは御自身が年齢・経験にふさわしい言動をするよう心がけてはいかがだろうか」という忠告、好き♡
呉座先生、冷静にキレてるのが怖すぎる。「テメーが先に手を出したんだかんな」って事を相手に噛んで含めるように言いながら、相手の顔面を的確に殴り続けることが出来るのがプロの喧嘩師なのかも知れない。 /
そもそも歴史を明らかにするという営為は、「他者」を理解しようという試みである。(略)一人の人間が一生で経験できることなんて多寡が知れているからこそ、私たちは本を読み、歴史を学ぶのである。:
「人生経験に基づいて歴史を読み解くと言えば聞こえは良いが、所詮自分の価値観を過去に投影し、自分の主義主張を歴史によって正当化することにしかならない。」
八幡氏への忠告②
今回は歴史学だけど、医学でも他分野でも専門家が、いわゆるトンデモな方々を相手するのが、いかに面倒かが一連の流れでよく分かる。
歴史はエンタメでビジネスが成り立つし、学術と歴史小説は土俵が違うというだけなのに。
呉座先生怒り心頭だな....無理もない。
自分の「印象」で歴史を解釈するネトウヨ風味の人が大量発生してますけど、こういう「気分」が支配的なんでしょうなあ。
そうだよ、学術演習をなんだと思って居るんだ。だから雨後の竹の子のように急増した実務家教員って面倒なんだよなぁ。
スーパーぶった斬りの第二弾。正論を真正面からぶつけるストロングスタイルに痺れる憧れる。
これ、八幡氏は「史料」じゃなくて「資料」としか書いてないのね。勝負にならねえよ。
呉座先生、記憶にないほどのワンサイドゲーム。実務家教授の問題の傍証。
八幡氏、また完膚なきまでに切り刻まれる:
呉座先生の「人生経験がないと史料を読み解けないなら人によって読み方が違ってくるじゃねえか。そんな属人的で再現性ないのは科学じゃねえよばーか」と石直球をど真ん中に投げててスゴイ(なお「ばーか」の部分は僕による意訳(属人的
メモ
時代と場所で価値観も感情も違う。「人間」とずさんに纏めてしまうのは、支配願望の業にすぎないかもしれない・・・

"一人の人間が一生で経験できることなんて多寡が知れているからこそ、私たちは本を読み、歴史を学ぶ"
呉座さんの意見を支持します。
感想。 研究者として言ふべきことを誠實に指摘しているだけ。
(相手にしなくても、放っておけばいいのにと思わないでもないけれど)

ゴットゥーザ先生・・・ストレスにならないか心配である。
人生経験で歴史が理解できるなら歴史学なぞ不要。自らの思想の補強として歴史を持ち出すから話がごちゃごちゃしてくる。持ち出さないと弱いだけかもしれないが。|
僕も人生経験を積んで初めてマーケティング学説史が分かってきました。
冒頭の「歴史愛好家」に笑う。研究と愛好の違いが整理されてて分かりやすい。
呉座氏の言われるように別に歴史研究者になるのに「人生経験」は必要ないけれど、様々なタイプの知性が集まるのが望ましいような。今の研究は本当に厳密になっているからそもそも歴史研究者を志す人のタイプが限定され、チマチマした人ばかりという感じも。
学問が属人的なものだと思ってる人がいまだに多いというのが難物よねえ。 /
『学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない。…盗用の言いがかりの件は後で「あれは冗談だった」で済む話ではない。人生経験豊富な大人だというのなら、この問題につき私に対して明確に謝罪すべきだ。』
八幡は根本的に科学と言うもんが分かってない
たかが助教が、たかが元官僚を、たかがド正論でフルボッコ。
アゴラは池田信夫氏の私物メディアという側面は厄介だけど、こういう記事を載せる気概があるのは素晴らしいです。
呉座先生容赦なさすぎて笑う😸>
角栄裁判論争における立花隆と渡部昇一を思わせるものがある。
“「困ったお年寄りだな」と思っていた。けれども、その方は自己流の独学ではなく大学でしっかり歴史学を学ぼうという意欲を持っていたわけだから、歴史学の初歩すら学ぼうともしない八幡氏よりは立派である。” /
呉座「そもそも歴史を明らかにするという営為は、「他者」を理解しようという試みである。」
→至言、後世に残したい一節だぬ。
呉座勇一《人生経験に基づいて歴史を読み解くと言えば聞こえは良いが、所詮自分の価値観を過去に投影し、自分の主義主張を歴史によって正当化することにしかならない。要するに「他者」ではなくて「自分の鏡像」を見ているだけだ。》
「人生経験」「助教」によるマウントを実例を挙げて丁寧に反論。木村先生のツイをダシに使って八幡氏のFB投稿を批判するのはちょっと反則っぽいですが、呉座先生の攻撃色が収まって来ている感じがするのは余裕の証?
呉座勇一:
呉座先生の慈悲をはき違え、まんまと頬被りしたつもりの八幡氏であったが、義憤の炎をかき立ててしまったようだな(笑)事の発端が晒されることになったのは自業自得としか言いようがない。
この論争見てて・・・針のむしろってこんな気分だろうか、当事者なら剣山の床に正座させられて説教される気分になるわ。
私は谷口さんの論文で歴史学に触れた。史料を幅広く探し、慎重に吟味し、謎を解いていく鋭い筆致に、研究という営為への畏怖を抱いた。
呉座さんも谷口さんも、中世史学会のユウ(勇&雄)として、一層のご活躍を念じてやまない。
>「史料のないところに歴史はない」
中島敦の「文字禍」にもあったけど、その意味が理解できないとアカデミズムの歴史学は難しいのですよね。
歴史解釈は人生経験がものをいうと主張する八幡和郎氏。「美味しんぼ」に登場した「富を重ねて三代、それでこそ真に美味いものがわかる」と語るエセ評論家みたい。
ザ・痛烈。正面から完膚なきまでに。
"学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない" 幹竹割り演武を目の前で見てる時の顔をしている。
任意の研究者が他人の著作を盗用したと公言するのは、ふつうに名誉毀損になる可能性が高い。専門の近い研究者から見て盗用に相当する場合でも、裁判所が著作権侵害の認定をしない可能性は十分に高い。こういう場合に他人を盗用者と公言すれば、やはり名誉毀損になりやすい。
容赦ない批判ぢゃw ★
「学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない」
人生経験で歴史を見ないようにするのは本当に大変。
博士課程の時にそれができていたのだろうか…悩ましい。
「人生経験などという主観的なものに基づいて分析していたら、客観性・再現性が担保できず、学問として成立しない」「他人の品格をうんぬんする前に、まずは御自身が年齢・経験にふさわしい言動をするよう心がけては」
流石だ…。何という鋭い舌鋒……。これは勝負あったとしか。
八幡氏は呉座氏に対して「盗作!とはいわないが、それに近い」と言った。「盗作」と「盗作とはいわないがそれに近い」は、学者に対する非難としては限りなく同義語。まずは呉座氏に謝罪せよ。すべてはそれからだ。
呉座勇一「 人生経験は歴史研究に益するか」
「人生経験に基づいて歴史を読み解くと言えば聞こえは良いが、所詮自分の価値観を過去に投影し、自分の主義主張を歴史によって正当化することにしかならない。要するに「他者」ではなくて「自分の鏡像」を見ているだけだ」
そうだよ(便乗)
神戸大学教授の木村幹先生のツイートが紹介されている。
一通り通読。自意識過剰な中学生が突っかかってきたのをちょっと厳しめにたしなめている大人という印象。
木村幹氏が「素人さんは怖い」と書いているが同感。文科省は実務家教員を増やせと言うが危なすぎて無理。
呉座氏の言ってることは至極ごもっともだけど、木村幹氏のろくでもないツイートの引用によって台無しになっている。
八幡先生の戦略判断ミスが光る
百田「日本国記」批判を行った時点で、アカデミズムに親和的な読者層獲得を目指したはずで、呉座先生への攻撃はその層の独占を狙ったはずだけど、ここまで完膚なきまでに論争敗北してしまうともうその層からマトモに扱ってもらえないのでは
「歴史学の学生が最初に学ぶことは、「私たちは過去を直接体験することができないから、史料という媒介物を通じて過去に迫るしかない」ということである。すなわち「史料のないところに歴史はない」のである。ゆえに史料の発見・整理・解釈の技法が歴史学の根幹をなしている」
呉座さんという方は、本当に尊敬に値するね。thousands of cheers! / 言論プラットフォーム)
呉座先生は情が深い。頭が悪くて偉そうな人にここまで丁寧に教えてあげるだなんて、親でもやらない /
ぐうの音も出ないとは正にこのこと…なんだけどへこたれないというか、理解できないんだろうな。八幡氏なんて色々予防線張ってたしな
こここここここここここわいwwwwwwwwwww
こんだけ淡々とした文章に激情籠もってるの見るのはは久しぶり。。。
「大御所・長老の研究であっても、正しい研究手法に基づいて批判すれば覆すことも可能という平等性こそが、学問の本質である。」
「歴史学者が方法論をうるさく言うのは、方法論を正しく身につければ、誰でも一定の研究成果を出せるからである。」「学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない。」 /
八幡氏はハッタリ以上のものがない人物だから、ハッタリを暴かれても素直に御免なさいとは言えないだろう。この後も醜く言い逃れ、難癖をつけていくに違いない。 /
歴史“に”学ぶべきではない、歴史“を”学ぶのだ…という呉座氏の考え方は「見えざる手」を感じさせますね。
…ところで、元官僚の天下り教授は本当にどうしようもないですね。
こっちのほうが期待大だろ→
「拙著『応仁の乱』(中公新書)に対する本郷和人氏の批判に対しては、某雑誌で反論する予定」
「歴史を明らかにするという営為は「他者」を理解しようという試みである。人生経験で歴史が分かるなら歴史なんて学ぶ必要はない。
《歴史学界の権威主義をあれだけ批判してきた八幡氏が、「東京大学教授の本郷和人氏が呉座を批判しているので、呉座の見解が正しいとは言えない」という権威主義丸出しの主張をしてくるとは思わなかった。》
「学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない」「後で「あれは冗談だった」で済む話ではない。人生経験豊富な大人だというのなら、この問題につき私に対して明確に謝罪すべきだ。」 /
「他人の品格をうんぬんする前に、まずは御自身が年齢・経験にふさわしい言動をするよう心がけてはいかがだろうか。これが私からの最後の忠告である。」うん、それ以上、いけない。 /
助教がどうこうってこれか >
そうだよな、『教授』というアカデミズム社会の一員が、同じアカデミズム社会の一員を『盗用だ!』と批判するのは冗談や軽い誇張で済む話じゃないもんな。
この国の学問は大丈夫なのかという気持ちになってきた。史学は市井の自称研究家も多いから大変そうだけど、基本どの学問も適当に言い散らかしてる人がいるからなあ。あと助教をdisるのなんなの /
"人生経験に基づいて歴史を読み解くと言えば聞こえは良いが、所詮自分の価値観を過去に投影し、自分の主義主張を歴史によって正当化することにしかならない。要するに「他者」ではなくて「自分の鏡像」を見ているだけだ。"
昨年秋、参考文献として挙げた『陰謀の日本中世史』の著書の方による寄稿です。文章などの勉強になります。
相変わらず容赦ない。
とうとう、呉座先生が騒動のきっかけである「盗用」という八幡氏の中傷に言及した。最初からまるで勝負になってなかったが、いよいよ決まり。自分が先に呉座先生を盗用呼ばわりしながら「自分を泥棒に例えるとは失礼」なんて、あまりにも酷いダブスタ。
最後通牒キタコレ。
そしてvs本郷先生予告編。
感想を一言で言うなら『君がッ泣くまで殴るのをやめない!』
わはははは!痛快すぎて笑ってしまう😆
厳しい>他人の品格をうんぬんする前に、まずは御自身が年齢・経験にふさわしい言動をするよう心がけてはいかがだろうか。これが私からの最後の忠告である。
つよい、、、 /
呉座先生、歴史愛好家の天下り八幡氏を一刀両断でこざる。
"人生経験などという主観的なものに基づいて分析していたら、客観性・再現性が担保できず、学問として成立しない">>
facebookで仲間内にしか話せなくなった八幡氏には、もうこれで終わりでいいでしょう。呉座先生の学問全体に通ずる考え方はよく理解できたし、「本郷和人氏の批判に対する反論」に精力していただきたい。
まともな感覚してたら、これで八幡和郎のライフはゼロになる。でも八幡さんまともじゃなさそうだから。
きっつーw>けれども今にして思うと、その方は自己流の独学ではなく大学でしっかり歴史学を学ぼうという意欲を持っていたわけだから、歴史学の初歩すら学ぼうともしない八幡氏よりは立派である。
“歴史学界の権威主義をあれだけ批判してきた八幡氏が、「東京大学教授の本郷和人氏が呉座を批判しているので、呉座の見解が正しいとは言えない」という権威主義丸出しの主張をしてくるとは思わなかった” /
行間を妄想してストーリーをつくるというのは人間が自然にやっちゃうことで、だからこそちゃんと線引きしないと学問ではなくなるっていう /
@rondan_net パクリと言えば、呉座先生が、八幡氏からの盗用呼ばわりについて論壇netの過去記事を紹介されてますね。なかなか痛烈で面白いです。
つよすぎる
本当にもう最高。八幡氏のようなオッさんには、今まで、とても迷惑を受けていたので、ここで徹底的に殲滅してほしい。
呉座先生「学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない。(中略)後で「あれは冗談だった」で済む話ではない。人生経験豊富な大人だというのなら、この問題につき私に対して明確に謝罪すべきだ。」ホンマやで
官僚の世界もこうであれば…と思わないではない。「歴史学者が方法論をうるさく言うのは、方法論を正しく身につければ、誰でも一定の研究成果を出せるからである。」 /
〈だが大御所・長老の研究であっても、正しい研究手法に基づいて批判すれば覆すことも可能という平等性こそが、学問の本質である。〉
病院の待合で読んで、笑い出しそうになった。というか逃げ道全部塞ぎにいってますな。そしてここでも巻き込まれるキムカン先生。因果な方であられる /
食わず嫌いの中世史だけど、腹を据えて読んでみる
中学・高校の先輩でもある呉座勇一さん。「歴史」と「研究」について真摯に向き合う姿勢が感じ取れる良記事。快刀乱麻を断つとはこのことか。
撫で斬りだった。 ◾︎
ああ、しみじみ、呉座先生は科学の話をしてるんだなあと…。歴史学の論文も、史料に基づいて誰でも同じ結論に至れるよう努力する学問なんですよマジで。

てか人生経験積めば史料が読めるって意味わかんない。
呉座先生による八幡氏への忠告第二弾がきた。
「たかが助教」の件もしっかり触れられてる。
あと八幡氏を批判しつつ「応仁の乱」について本郷先生の批判に反論予定である旨も宣言。
あんまりこちらの件、表垢で触れたくなかったんだけど、ものすごく大切なことが書いてある。初心を思い出すわ……まあ私は研究者じゃないけど。
「一人の人間が一生で経験できることなんて多寡が知れているからこそ、私たちは本を読み、歴史を学ぶのである。」歴史を学ぶ意味はまさにここだよなぁ。巨人の肩に乗ることで新たな視点を得られる /
史料読解、史料解釈の客観性と再現性が担保されているなら歴史学も科学や。文学やない。
すげーな、合気をみているような感じ…
>『「私が織田信長だったら、こう判断する」というヨタ話に価値があろうはずがない』

「私が考えた織田信長だったら、こう判断する」みたいな歴史語りが重症化するパターンか…
呉座勇一殿、八幡和郎殿宿に三度目の襲撃なされ候 “「私が織田信長だったら、こう判断する」などというヨタ話に価値があろうはずがない”と一太刀に斬り捨てられ候 気味良く候
Reading:
個人の才覚や経験を重視した研究活動の問題点、歴史学が何故方法論を重視するのかという話。これは何も歴史学に限った話じゃないんだろうなという霊感がある
呉座先生『学者に対して根拠もなく盗用の疑いをかける以上の侮辱は存在しない。(中略)盗用の言いがかりの件は後で「あれは冗談だった」で済む話ではない』ああ、これはもう斬馬刀が血を吸うまでおさまらない:
呉座先生って、正論でバッサリやるかっこいい人だね。
一般の歴史愛好家が、歴史学およびその専門家と接する際の「これはやってはいけない」が学べるという点で良記事だと思う。
木村先生が引きずり込まれそうでわろた
そっと巻き込みをくらう 木村幹先生。八幡氏がそちらに絡みに行かない事を祈ります。即ブロックで終わりそうだけど。
百万回「いいね」を押したい記事。自分の思い出だけで「昔はこうだった」と言ってくる人多いよ…
以上

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