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原爆3発目、急いでいた 長崎翌日の米軍公文書:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

24コメント 登録日時:2018-08-10 05:57 | 中日新聞キャッシュ

 一九四五(昭和二十)年八月九日に長崎市に二発目の原爆を投下した米軍が、三発目の原爆を日本に投下する具体的な計画を立てていたことが、米軍の公文書から裏付けられ…...

Twitterのコメント(24)

>三発目は新潟を狙っていた可能性がある

>一発目の原爆投下で破壊された広島の惨状を写真で見たトルーマン大統領が衝撃を受け、閣僚会議を開き、これ以上の原爆投下を禁じる決定をしたという
原爆をもう一発落とそうとしていたとは…。
戦争は恐ろしい。
やっぱり核実験だったんだよ、チクショウ。核兵器など、認めては、持っては駄目だ、絶対。
長崎に原爆を投下した翌日の8月10日時点で、米軍が次の原爆投下を計画していたことを示す文書 URL:
核使用の意思決定の手順が,冷戦期のように明確になっていなったことを示していると言えるのではないか.核が特別でなかった戦時中では,現場の軍指揮官に武器の使用を委ねている.
なんという恐ろしいこと。言葉もない。
文書左上の「機密解除」が、74年6月4日に見えるんだが。-
2回目は小倉→長崎に変更、
3回目の予定が新潟だったのか。
〈三発目は新潟を狙っていた可能性がある〉そう。
3発目の原爆の予定地は新潟だったのか。もし新潟に投下されてたら、、色々と考えちゃうね。
原爆の被害状況を知っていながら3発目の
計画を立てていた軍の考え、
状況によって人はこんな決断も
できると驚きます。
大統領が中止命令を出していたとは。
そりゃ最初は降伏要求を破りすててたんだから当然そうなるやろな。
新潟も狙われていたんですね?恐ろしいことです
この公文書の英語、本当にネイティブが書いたの?文法ミスとか、言い回しとか変な英語。
負の歴史も残し、開示する。内容は到底容認できないが、日本はこうしたものを責任逃れのために敗戦後、軍部は直ちに廃棄した。その悪しき前例は、戦後73年経っても全く変わることなく、権力を持つ人間達の中に脈々と受け継がれている。
新潟に落とされてたかもしれないのか!!
原爆3発目の標的は新潟市だった! 目標はやっぱり萬代橋だったんだろうか。
「米軍は7月時点で原爆による攻撃目標を広島、小倉、新潟と決めていた。小倉については8月9日、前日の空襲による視界不良で長崎に標的を切り替えた経緯が知られており、3発目は新潟を狙っていた可能性がある」。「 長崎翌日の米軍公文書」
原爆3発目予定は新潟だった?
「原爆3発目 急いでいた」
8月17日か18日か 晴れた日に、新潟に投下できる見込みだった
中日新聞
これまで言われていた横浜ではなかったのかな

 長崎翌日の米軍公文書:一面:中日新聞

小倉については八月九日、前日の空襲による視界不良で長崎に標的を切り替えた経緯がこれまでの研究で知られており、三発目は新潟を狙っていた可能性がある。
長崎翌日の米軍公文書:「爆縮型 の次の爆弾は」という書き出しで始まり、四日程度で製造し、最終部品を米ニューメキシコから船で発出。天候が良ければ、十七~十八日以降の最初の好天の日に投下できると記している。二十四日だった投下予定を早める..
✳️被爆73年
 長崎翌日の米軍公文書
かなり現実的な計画が進み
積極的姿勢があったことが裏付けられたが
…原爆投下署名したトルーマンが
理解しきれていなかったことも改めて伺える
原爆投下が100万人の兵士を救ったなど
やはり後付けの理由なのだ
三発目は新潟を狙っていた可能性がある。 /  長崎翌日の米軍公文書 (中日新聞 CHUNICHI Web)
以上

記事本文: 原爆3発目、急いでいた 長崎翌日の米軍公文書:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

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