MiG-25函館へ! 冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは | 乗りものニュース

19コメント 登録日時:2018-09-06 06:28 | 乗りものニュースキャッシュ

その日、秘密のベールの向こうにあったソビエト連邦(当時)から、さまざまな機密てんこ盛りの1機が白昼堂々函館へ飛来、冷戦期の世界を大きく揺るがしました。「ベレンコ中尉亡命事件」の経緯と、その影響について解説します。...

Twitterのコメント(19)

戦闘機の手本となり時速3000キロメートル(マッハ3.2) 世界10ヶ国の空軍に使用されながらも、敵国との直接的な交戦は行われていない/
42年経ってMIg-25はとっくに退役。一方のF-4EJは未だに現役。 /
冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは(乗りものニュース 2018年9月6日)
当時最新鋭のソ連戦闘機「MiG-25」が函館に……。以降の航空自衛隊の装備にも大きな影響を与えた、一大事件でした。
1976 年 9 月 6 日に, Виктор Беленко Viktor Belenko 中尉が操縦するソ連の MiG-25 が, 函館空港に強行着陸した.
パルスレーダはグランドクラッタに弱いから見えない。 三沢の米軍ではなく、千歳の空自が上がって来る事を見越してのパスがソ連のステータス。 →
ミグ-25=真空管 を連想するやつ、ふぁぼ!
いつものデタラメ「乗りものニュース」の時間だよ。
F-4EJ改の開発は「高額で導入機数が少なく見積もられていたF-15を補完するため」ではないよ。
( ^ω^ )
冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは(乗りものニュース)
電子装備が半導体じゃなく、旧式的な真空管だったことも衝撃だった。
「え?ソ連ってこのレベル??」って。ホント過大評価してた。
F-15 の試作カラー懐かしいなぁ。この頃の航空機は色とりどりのデザインで面白かったな :
42年前にこんなスゴイことがあったんだね。
会社で自分の後ろの席にいらっしゃった空バク整備部OBの退役空将補の方は実際にMIG-25の調査に携われたそうで、色々面白いお話を聞かせて頂きました。この御仁が最も印象深かったのは、USAFのミグ屋のプロフェッショナルぶりと、コクピットが非常に簡素だったことだそうです。
>時速マッハ3で飛行が可能
時速マッハってどんな速度? km/hとかMaはわかるんだけど時速マッハは知らないなぁ
一人のパイロットの決断とその行動が各国に大きな影響を与えた…ってのが面白いよな。
書かせて頂きました。お暇な時にでも読んでやって下さいませ。
1976年9月6日、ソ連のベレンコ中尉が乗る戦闘機が亡命目的で函館空港に着陸した。 ---
今日はソ連軍中尉亡命事件があった日だそうです。ロシアから苦情が来るのを恐れているのか、真空管を使っていたことがばれたという逸話は書かれていませんね。
冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは(乗りものニュース)ファントムがポンコツだと分かった事件だけどMiG25がイスラエルのレーダーでマッハ3.2だと計測された件の真偽はどうなの。
あったあった連日ニュースで取り上げられていたなあ。
そのあとプラモデルも売り出されていたなあ。
さあ大変、機密てんこ盛りのソ連機が転がり込んできた! 冷戦期の大事件を解説。

【 冷戦さなかの「ベレンコ中尉亡命事件」が日米ソにもたらしたものとは】
以上

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