TOP > ネタ・話題・トピック > note > とんねるずをちゃ...

とんねるずをちゃんと擁護できる人がいない理由|星井七億|note

60コメント 登録日時:2017-10-12 05:49 | noteキャッシュ

 B級映画マニアという人々がいる。自分の好きなものを悪し様に言われると大体の人間は怒るものだけれど、例えばB級映画を観た人が「この映画は駄作だ!」と評したとしても、B級映画マニアの方々は怒らないどころかその意見を喜んで肯定することが多いだろう。それは「批判的意見も批評のひとつだ」と言った心の余裕からくるものではなく、そういうものだから魅力を感じるのであって、「その通りだ。だから面白い」と頷くだろう。もちろんマニア...

Twitterのコメント(60)

"某キャラを本当に擁護するのならば、その魅力や正当性をきちんと説明すればいいだけなのに"そもそもホモオダにだけそれをつきつけることに違和感。雛壇(的コント、フェイクドキュメントと言えば良い?)でオネエキャラと演じるのはセーフなのに。
「コンテンツ側の楽しむ素養の要否」と「消費者側の楽しむ素養の有無」か。腑に落ちる解説ではあるなぁ。『分かりすぎていると楽しめない』は割りとあるから >
(ノート)

ちょっと話外れるけど、自分がピンとこなかった作品ほど肯定的な意見を探して読んでしまうのは、この「素養」の部分を知りたいからだなぁと思う
「素養を要しないものは、まず適切に肯定することすらできないのだ」
先程のおそ松さんの「祝・就職」の不快さと笑えなさについてその原因について見事に答えてくれた。
"「無知を逆手に取り、偏見を誇大化する笑い」というのは「素養」を必要としないので…「ならば魅力を正しく説いてみろ」と言われても、とてもハードルが高いのである。だから『糾弾する側への攻撃』でしか、某キャラを擁護する術を持てないのだ"
ここでいう「素養」(あるいは「知=権力」)は、あるタイプの差別を理解するうえで必須の概念。良記事。/
<某キャラ自体、「適切な理解が及べば楽しめなくなる」という構造で成り立っている>
受け手の素養を必要としない状態で笑いを取る方法として、偏見を利用している。
例のアレを擁護しているように見えている主張の大半は、アレを非難している人達への非難に過ぎず、アレそのものに対する擁護では無い、と云う指摘
お笑いって感性に合うか合わないかだからねー。

でも、語るなら…。
『真塩(ネタのカセットテープ)』や著書『天狗のホルマリン漬け』辺りまで語って欲しかったなぁ😜
(ノート)

んんんーー。
僕はとんねるずが好きなので、例のキャラみたいなそもそも面白くないことはしないでほしいとおもう。
批判サイドはあのキャラの良くなさを言語化するベースがあるのに対して、擁護サイドが理を詰めると結局あのキャラはべつに面白くないというところに行き着いてしまうので批判サイドの批判行為そのものに抗するしかなくなるという非対称についての話
「無知を逆手に取り、偏見を誇大化する笑い」っていうのは現政権のやりかたを言ってるみたいだな……ってぞっとした
このブログ読んだときにも思った
(ノート)
とんねるずの某キャラの叩かれた理由をB級映画に例えるのなら問題の根本は予算の多寡ではなくて「現在のとんねるずがフジテレビの内輪受け」しか作れなくなった点だ。
「「受け手が無知であることを前提にしないと成立しない笑い」において、偏見や誤ったイメージを誇大化するのは鉄板なのだ。」 /
"90年代のとんねるずといえばテレビでの猛威が目立つけれど、何気に音楽活動の面、それもパロディの面ではとても面白い作品を多く残している" 確かに、正直「野猿」は割と好きだった。 / "とんねるずをちゃんと擁護できる人がいない理由…"
(ノート)
面白い視点だな
うーん。「テレビが受動的なコンテンツ=「素養を必要としないコンテンツ」である」とは言えないと思うけどなあ。テレビのフォーマットや番組種別、流行りのネタを知った上で見ようとしないと楽しめないでしょ。
(ノート)   ドーナッツの説明か・・・   ない芯は言い表せない
これ、にゃんこスターがとんねるずと真逆なんだと…「誰にでもわかっていること」+「誰にもわからないこと」で攻めたんだなと。情報の偏りがあることに、偏見押しつけて笑うことなんてしないということ。誰も傷つけない笑い。
とんねるず≒フジテレビは素養がなくても楽しめるという主旨はナルホドだな。
最後にパロディねたについて褒められているけれど、それを楽しむには素養が必要だよな。特にとんねるずの音楽ネタはMJやプリンスなど黒人音楽志向があるし。
自分の好きなものについて語る際にもっとも効果的なのは、魅力を伝えようとする明るい攻撃であり、非難を覆そうとする必死の防御ではないということだな。
擁護してる人に「なんであれが笑えると思ったの?」て聞いたところ逆ギレされたわけだが、なるほどね。
「「受け手が無知であることを前提にしないと成立しない笑い」において、偏見や誤ったイメージを誇大化するのは鉄板なのだ」
↑日本のテレビをガラパゴス化させた最大要因

とんねるずをちゃんと擁護できる人がいない理由|星井七億
おもしろい。というかその観点には感服した。
素養、か!なるほど。
たしかに件のキャラを「面白いから」と擁護してる人はいなかった。
とってもいい文章を読みました。ためになったなぁ→
(ノート)
はーいいコラムを読んだ。長文を飽きさせずに書ききるのすごいな。
とんねるず的な笑いが今芯を外している事に対する冷静なひとつの回答だと思います。
(ノート) いまどきハマったものの布教が難しいのはそう蓄積が違うっていうのあるかな……。
(ノート)

なるほど面白かった
"よくないとされているけれど、自分ではそれを適切に肯定できないものを、楽しんでしまった自分から目を背けたい、という意思" /
たしかに音楽で1番成功した近年の芸人はトンネルちゃんではあるよなあ。/ 保毛尾田保毛男は擁護しようと思うほどおもしろくないからな。タカさんはなにやってもタカさんなのがいいんであれは例外のキャラではあった。 / "とんねるずをちゃ…"
「知っていないことを逆手に取る」この切り口は鋭い。 /
貧乏な母子のコントで相当笑った記憶があるが、今見ても笑えないと思う。いや、笑えるかな。リンボーダンスのやつ。 /
後でゆっくり読もうメモ。
わるくなあ
コンテンツの批評に対するめちゃくちゃ明晰な見解だ>
これはいい記事だ。

(星井七億)
ちょっと面白い。
元の話はよく知らないけれど、論考として興味深い。「褒めるのには技術が必要、というけれど、技術より以前に「素養」が必要なのだ。素養を要しないものは、まず適切に肯定することすらできないのだ。」 / "とんねるずをちゃんと擁護できる人…"
別件を持ち出して筆者を叩くコメントが散見されるけど、例のキャラに批判的な人に対して攻撃的な態度を取るのは、つまりそういう人なんでしょうね。/
ド真ん中のド正論。某芸人さんに是非読んでほしい。
「擁護よりは批判側への攻撃ばかり」っていうのはなるほどそうだな、って思った /
"褒めるのには技術が必要、というけれど、技術より以前に「素養」が必要なのだ。"
"よくないとされているけれど、自分ではそれを適切に肯定できないものを、楽しんでしまった自分から目を背けたい、という意思が、糾弾側への攻撃という行動に走らせるのかもしれない。"
とんねるずをちゃんと擁護できる人がいない理由|星井七億
文章の意図はすごくわかるんだけど、某キャラへのコメントのほとんどがキャラへの批判であって、とんねるずへの批判じゃなかったと思う、のだけは付け加えたい。
「素直に楽しんだ人間からすれば「理解」が追いついていない以上(むしろ理解の欠落によって引き起こす笑いなので)、「ならば魅力を正しく説いてみろ」と言われても、とてもハードルが高い」 / "とんねるずをちゃんと擁護できる人がいない理…"
(ノート)

星井七億さんに七億あげたくなるわ…
「正しいかどうか」という観点からだと「正しくない」という結論にならざるを得ないからですね。当時の差別的な偏見を含めて出来上がったキャラクタなわけで。
(ノート)

確かにまっとうな養護意見は目にしなかったな。
これで思い出したけど、私は全然面白いと思った事ないんだよな…。友達の輪の中に入って行けない子で、入る為には共通の話題が必要だったけど、それが「とんねるず」だったり「たけし」だった。それは自分が人の輪の中に入れない象徴だったわ。
「ヒカ◯ン氏とマックスむ◯い氏のBLを書きました」で炎上したとき弁解せず黙って消した星井七億氏が何か言ってる /
「受動的に楽しむコンテンツはおおよその場合、素養を必要としない」とんねるずという存在は極めてテレビについて的であった。なるほど。読み応えあり。
(ノート)  確かに何が面白いのかはだれも説明してくれない
以上

記事本文: とんねるずをちゃんと擁護できる人がいない理由|星井七億|note

関連記事

画像で見る主要ニュース