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NYビート:セリーナ騒動の報道にみる米国文化 - 毎日新聞

234コメント 登録日時:2018-09-14 16:15 | 毎日新聞キャッシュ

 大坂なおみ選手が米国のセリーナ・ウィリアムズ選手に勝った全米オープン女子シングルスの決勝戦について、試合から数日たった今も、熱い議論が続いている。セリーナは審判の性差別の犠牲になったと主張する派と、セリーナの行動はプロの取るべきものではないと批判する派の激論だ。...

Twitterのコメント(234)

例えば、英紙ガーディアンの記事の見出しは「セリーナが家に火を付けて焼き落としたため、大坂の素晴らしさが忘れられた」(抜粋)
今さら諸々の話を知る
米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。
差別に抗議するセリーナを擁護する声、そういう背景があってもセリーナの言動は許されないという少数意見(大坂への同情)、差別問題が絡むと反対し辛いという声が後から出た米国。日本なら?ルール違反、以上!で終わるかも?
アメリカも大変だなあ。/
差別と長年向き合ってきたからこそのポリコレ圧力にも思える。日本と感覚が全く違う気がする。

"黒人男性記者「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」"

「でも今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。」
「しかし、米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。」
その通り。子どもがいるからエラいわけじゃない。

『でも今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。』
そうなのよね、ずっと逆ギレしてるし、娘いるとか言うならラケット叩きつけるのどうなのよと思ってしまう。ファンを味方につけてあおるような所はあったんじゃないかな。
そんな中でなおみはよくやったよ👍
黒人男性記者の感覚は分かる。女性選手を非難する時に「差別的かも?」と思ってしまう。だけどその感覚は差別が存在するから現れるものではないか。差別が無ければ、行為そのものを躊躇なく判断できるはず
結局こういうこと「米国では」「PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ」
で、これは弱者性が矛として使われてる例だけど、一方で盾として使うこともできるわけだ
「弱者への批判は差別である」と、まあここまであからさまでないにしても、こういうふうに弱者性を使うこともできてしまう
"ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。"
ほんとこれ大事なポイント。
分かりやすく書かれてた。ラケット踏みつけるイラスト描いた作者はツイッター閉鎖させられたって…あれくらいの風刺絵よく見るけどPC警察怖いなぁ、、、 -
『「米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「ポリティカルコレクトネス」に反する』
えっなにそれは(呆れ)
「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」その人の特性が、その人の誤った言動や行動を正当化してしまうサンプルだと思う /
マイノリティである弱者であると規定されたら批判すること自体が差別だと受け取られかねないという状況がそこにあるってことだよねえ。これが今のアメリカの空気か。自由はどこ行った。 /
セリーナが第一人者であるからこそ、言いたくても言えない雰囲気を作り出してしまう。人種や性への差別はどうしたら本当になくなるのか、難しいですね…
連日テレビで大坂なおみの凱旋試合絡みのしょうもない報道ばかりが目についてうんざりしていたので、こういう良記事に出会えて嬉しい。個人的にはナブラチロワに賛成。
"米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反する。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかった"
これ、トーンポリシング、または(もっとはっきり言えば)差別だと思う。
この論考は面白い。
ポリティカルコネクトレス
だんだんと,色々な意見を俯瞰する記事が出始めてる.私の周りでは,テニスをよく観る人はセリーナに批判的な人が多いような感じがする.テニスに関わる人々にとって大事な場所であるグランドスラムの決勝で,テニス以外のことを優先させたことが許せないという感じかな.
ここなのかねぇ。
最後の一文に特に共感。
抗議中の彼女と観客にはトランプとトランプ現象を見るのと同種の嫌悪感をいだきました。
大坂なおみ気の毒過ぎるな。日本ではあんまりセリーナの記事ないから帰国して正解だったかも。
ペナルティや減点の対象は、セリーナの態度出会ったわけで、それが男性プレーヤーならここまで重くないという判定とは関係ない。それを持ち出している彼女こそが差別意識で男性を見ているかに感じるがな。 / "NYビート:セリーナ騒動の報道…"
「しかし、米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。」 /
他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかったのだろう。
良質な記事。「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」…アメリカって窮屈な国に成り下がったよな。/
「ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない」
この部分は同意。他の部分については差別発言もしてしまいそうだから言えない。
「スピード違反なんて誰でもやってるのに私だけ捕まえるのは差別だ」みたいな言い草がマイノリティーなら正当化される、という規範のことを『PC』と呼ぶのなら、そりゃ歪が生じるし世界の常識と乖離するだろう。
世界中でアメリカだけがセリーナを擁護する(せざるを得ない)理由
差異主義と普遍主義といういつもの構図。/ 米国の PC は普遍的な correctness ではないというのはその通りだと思う。 /
今の米国は5年後の日本。当事者がマイノリティであろうが不正を糾弾するのは当然。マイノリティである事を免罪符にするのは単なる腫物扱いであり、差別解消を更に遠ざける結果にしかならない。
良い記事だ。 白を白、黒を黒と言えなくなりつつある米国の矛盾が、浮き彫りになりつつあるのが分かる。
良記事という評判だけど、一番最後の言葉は引用であることを明記すべきじゃ?
これは良記事。〉
「他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかったのだろう。」
「ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない」ほんそれ。
時にPC(ポリティカル・コレクトネス)は同調圧力へと変質することがある。とても良き記事です。
概ねまともでびびる |
"ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。"
全米オープンにおけるS.Williamsの行動と米国の報道の様子が述べられています。米国では「黒人差別 女性差別」を訴える人(例えばSerena)を糾弾すると「差別主義者」のレッテルが貼られ自由な言論が阻害されているようです。典型的ポリコレ問題。悪用を見分る能力が必要です
これは差別問題じゃないよ。単純にテニスの試合の1シーンですよ。彼女の言動がチャンピオン保持者として、相応しいのか?って話…
いい記事だなあ。アメリカが夢を見るついでの寝言を書き散らすわたなべなんたらには逆立ちしても書けない |
米国でも女性、母親、黒人が神聖視されるタイプの差別がある。
セリーナ騒動はどっちもどっちって感じだけれど。
女性、母親、黒人を日本式に言えば「天皇」扱いはよくない。
「米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、『PC』に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかったのだろう」
日本だと、在日問題に置き換えれば納得の話だろ。在日の著名人がイカれこと言っても、同じ温度感で応酬したり、批判すれば、たちまちヘイトやレイシストの烙印を押されかねない。
アメリカの報道を見て感じた若干の違和感の原因は、これだったかもしれない。アメリカ人は、めちゃ空気読んでる印象。空気の質が、日本とは違うけど。
ポリティカルコレクトネスを盾にすれば何をしても良いしそれに盾突く者はすべて野蛮な敵だと言うのが自由の国アメリカ:
NY在住記者による秀逸なまとめ記事、納得の内容
独立した人格としての人に尊敬をベースにして向き合うことが大切だけど、これはとても難しい。ついつい易きに流れ、挙げている「看板」への好悪で態度を決めてしまいがちなことは自戒したい。。 / "NYビート:セリーナ騒動の報道にみる米国…"
差別批判の論調に左右された米国の意見と対岸の火事を眺めていた諸外国の意見。
あの試合の一番の被害者は、確かに大坂なおみ選手だったに違いない…
結局は便利で無敵な矛と盾で有名なポリコレさんのせい
非常に冷静な良記事。アメリカは「個人の意見を尊重する自由な国」というイメージを持っている人には是非読んでもらいたい。アメリカにも圧倒的な同調圧力はあるし、それを批判するトランプもその同調圧力をテコに使っている。
結局、セリーナを擁護したCNNやNYT東京支局の報道って、別の意味での「アメリカ第一主義」なんだよね。 /
セリーナを擁護しないとracistやsexistの烙印を押されて社会的に死ぬのか〜🤔
良記事。米国も忖度しないと生き残れない /
米国のローカル文化の特定の界隈で今現在支配的な論調に、忖度し同調する圧力があるので、それに引っ張られた極端な議論は、奇妙な固有文化として鑑賞すればよく、振り回される必要はない。英国左派のガーディアンだって同調してない。
セリーナと大坂なおみのUSオープン、これが一番真実に近いと思う。
差別に声を上げる人への批判は「政治的に正しくない」って狂気の世界だなw
ポリコレはエリート気取りの自己満足。いかにこういうのと距離を取るかが人生だいじになってくる。

価値基準はじぶんで哲学しろ。これに限る。

黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。
SNSでは割と当初からセリーナに批判的な声が多かった印象あるけどなぁ。あと、セリーナ側(コーチ)の違反であって、セリーナ自身の違反ではないから、ママ云々の下りにも疑問符→
20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。このあたりが多くの米国人の本音だと思う。
全米テニスの一連の騒動で、自分が読んだ中で一番の良記事: アメリカの(世界的に見るとかなり特殊な)ポリコレの現状にまで言及していて凄い。
米国マスコミも日本マスコミと似た病を持っていることは間違い無さそう。
どうしたいんだろうな、アメリカは
「20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した」

試合後に日本にも個人輸入されたPC擁護が広がりかけたけど、修正されそうでよかった。
やはり外から見ると、米国内の世論の危うさがわかるのね。
「20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白。このあたりが多くの米国人の本音だと思う」。
ポリコレを笠に着て調子コイてる黒人と朝鮮人の間にはそうたいした違いは無いw→
少し自分の中にあったもやもやが解消された。
大賛成。大人の意見。前向きで好き。
「ナブラチロワさんは「男性選手が反則行為をして許されたから、女性も許されるべきだ」と考えるのではなく、「スポーツと相手選手を尊重する行動とは何か」を自問すべき」
これは差別ではなく、ルール違反。スポーツマンシップ違反。女性差別とか論点すり替えとしか思えないんだが。差別と区別の思慮分別ついてないのか?この選手。→
セリーナ擁護論とかずっとモヤモヤしてたけど分かりやすくまとめられてていい記事だった
ナブラチロワさん流石だな。>
これは読んで良かったと思った記事。
(この件については色んな記事があるけれど、今まで読んだ中で一番秀逸なまとめだなと思った)
結局のところ行き過ぎたポリコレは米国の特異性であって、グローバルスタンダードでも何でもないってことか /
良記事。あの決勝戦におけるウィリアムズ選手の言動はスポーツ選手として色々間違っていた。どこが間違っているのか良くまとまっている。また米国内外でメディアの論調が異なる理由も。
"I never cheated in my life. I have a daughter and I stand for what's right for her. I never cheated."の訳は最後のであっているんだろうか。

セリーナ騒動の報道にみる米国文化 - 毎日新聞
毎日新聞なんだけれど今回一番しっくりきた記事
←政治や企業活動に蔓延している当に【強者の論理を押し通す】悪しき文化であり、それがその種の悪習と無縁のスポーツ著名大会で起こった驚きだ。
彼女の審判攻撃表情と他者攻撃トランプを重ねた方も多かったのでは!?
WTAやUSTAがセレナ云々ではなく、ルールに則った審判側に付かないのが結構驚愕。ITF(国際テニス連盟)は、主審は"プロフェッショナルかつ高潔"と擁護。 その通りですね。 :
ポリティカリーコレクトはずーっと続いているのね。日本ではナオミを人種的に興味深い対象で見る事が始まっている。
誤解を恐れずに言えば、米国の黒人って妙な被害者意識がないかと。
かなり以前の話だが、沖縄の小学生に性犯罪を働いた海兵隊員(黒人)が逮捕されたとき、その家族が「(黒人だから)差別してる!」とか檀上で訴えた挙句失神したのを見たけど、それに似た感じがする。
禁止行為をしたり、ラケットを叩きつけたり、審判を侮辱したり脅したりしたことによりペナルティが課せられたことに対し、女性からの抗議を受け入れられないとか性差別だとかはさすがにおかしいとしか言えない。
ナブラチロワ
「男性選手が反則行為をして許されたから、女性も許されるべきだ」と考えるのではなく、「スポーツと相手選手を尊重する行動とは何か」を自問すべきだと訴えた。
冷静に、わかりやすく、全米オープンの顛末についてまとめた記事。ナブラチロワさんの言葉と記事の最後の一文が印象的。■
我々はセリーナの行動を批判するときに人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう、と。→
まっとうな記事だった。普段立派なことをやってようがなんだろうが、スポーツの試合中に審判を口汚く侮辱したら反則とられるのが普通だよね。 /
「特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。」
ほんとこれ。
この試合に子供は一切関係ないはず。持ち出すのは汚い。
これが軸だな

「男性選手が反則行為をして許されたから、女性も許されるべきだ」と考えるのではなく、「スポーツと相手選手を尊重する行動とは何か」を自問すべきだ
ポリティカル・コレクトネスってこういうことなんだ。アメリカと海外の反応の違いの理由がわかった。/
どの口が言うか?彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。
「米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。・・・他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかったのだろう。」
文中より「でも今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。」

良記事。
"ナブラチロワさんは「男性選手が反則行為をして許されたから、女性も許されるべきだ」と考えるのではなく、「スポーツと相手選手を尊重する行動とは何か」を自問すべきだと訴えた。"…なるほど。→
「男性選手が反則行為をして許されたから、女性も許されるべきだ」と考えるのではなく、「スポーツと相手選手を尊重する行動とは何か」を自問すべき
米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。
発言や行動そのものへのペナルティーなら、そこに差別が入る余地はないと思うが、あとはそのペナルティーが万人に適用されてるか否かの問題じゃないのかな。
人の弱さが出てしまった話
良記事。これこそポリコレ棍棒案件だよ。米国メディアとそれ以外のメディアの報道を見比べるとよく分かる。 /
「PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ。他国は米国のPCコードを共有しないので、セリーナを批判しやすかった」うーん。国枝すみれ氏の見解はこうなのか…。
へ~~、毎日新聞にもまともな記者がいたんだな。
人権が~~、差別が~~、と騒ぐの大好きな奴ばっかりだと思ってた。
でもそんな有望な人はそんなとこ、早くやめたほうがいいよ。
丁寧な批評。個人的には、セリーナは、自分のポジションに対する自覚がなく、それはテニス文化を貶める危険があると思っている。フェミニズムとか女性の権利なんてものよりアスリートの尊厳が大事なのに。
青識、小宮論争なんぞよりリアルタイムの話題のなかに生きのいい差別問題とポリコレの関係を如実に示す素材がある。
手厳しい、しかし同意できる。
やっぱり善人ぶる必要のあるPC(ポリコレ)の弊害は大きすぎる。

>米国では、性差別や人種差別に声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC」に反する。
男性記者が「セリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白
>黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。
あの国めんどくせぇぇぇー!🤮
日本っていい国だ。相対的に。
ふむふむ
毎日新聞社には勿体無い人材だわ。
「でも今回は私もセリーナにがっかりした。」という観点から論争を整理した國枝すみれさんの記事「セリーナ騒動の報道にみる米国文化」   個人の特定の行動への評価と、ある価値観への評価とは、本来別問題。
"セリーナが審判に感情を爆発させるのを過去にも見てきた者たちは「またか」と思った。"
これに尽きる。負け濃厚になってから抗議が執拗になったし。。
20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。
大坂選手が勝った全米オープンの決勝戦。セリーナ選手の行動を巡って今も議論が続いています。米国は擁護、他国は批判という構図ですが、背景には彼女の行動を批判しにくい米国内の事情があるようです。同僚の國枝NY特派員のリポートします。
米国ではセリーナ・ウィリアムズ擁護派と批判派が対立しているという。ビデオを見る限りセリーナの言動は大人気ないというよりも見苦しかった。
親日発言をしたら怒られる韓国とか、反移民発言をしたら怒られるドイツとか… /
「しかし、米国では、テニス界の性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC(ポリティカルコレクトネス)」に反するのだ。」
ここ大事ですテストに出ます
「アメリカでだけ、ポリコレが異常に先鋭化してる」ってのは、英語圏のゲームメディア読んでても特に感じる。ドラクエ11も一部レビューで減点されたし、そりゃコーエーもDAX3出せない訳だわ。
"審判に感情を爆発させるのを過去にも見てきた者たちは「またか」"と思っても"性差別や人種差別に対して声をあげてきたセリーナを批判することは、「PC」に反するのだ。PCとは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動"

窮屈で全て差別とみなす言論の自由がない国
何が問題であるのか、きちんと整理したわかりやすい記事
米メディアがセリーナ擁護ってセリーナ勝たせたいってのと違うと思うんだよね。

「最初セリーナ支持だった米メディアが不支持に」みたいな内容で終わりもセリーナ批判だけど「私見」(私の意見と合わない)と思う。
セリーナの例のアレについての國枝すみれのコラム、米国と外、米国の当日とその後の報道の違いを浮き彫りにしている。英国の例はガーディアンとBBCで、どちらも辛辣で私の印象に近い。コールインラジオで聞く限り、一般人も直後から厳しい意見が(とりわけ黒人に)多かった。
たしかに、セリーナは近代テニス界の伝統とイメージに風穴を開ける、アメリカン・ドリームの象徴ではあるけれども、王者・母親・女性全ての文脈において、不適切な方向に今回ミスリードしたのが本当に残念
ポリコレはロジックが何度も裏返るからムズいなあ。裏の裏の裏だ((c)天津飯) >
「PC(ポリティカルコレクトネス)とは差別主義者と思われないための政治的に適切な言動だ」これには記者個人の解釈も含まれるが、案外と現実的な線ではないだろうか。
けれども、「政治的に」とは何だろう。
アメリカの浅はかなポリコレもどきにはうんざり。
米国ではPC自警団が棍棒を持って暴れまわっているので、事件直後はまともな言論(S・ウィリアムズへの批判)が封殺されていたが、海外はそうでは無かった。また、時間と共に米国内も正気に戻って来た、という事だろう。 セリーナ騒動の報道にみる米国文化
すっごくちゃんとした記事
國枝さんって何者なんだろう
一連の騒動をバランス良く伝えた記事と思う。試合生放送を観ていた僕の感想は「審判は正当」。しかし、USTAや観客は「女王復帰」というストーリーを望み過ぎていたのかと。
英紙ガーディアンの記事の見出しは「セリーナが家に火を付けて焼き落としたため、大坂の素晴らしさが忘れられた」。セリーナの「メルトダウン」は「自分より強い若いライオン」に敗北することを恐れたからだろう、
この記事すげぇ纏まっているし、米国の空気感まで伝わってくるのが凄い。

"「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」"
どこにも偏ることがない良記事だと思う。勉強になった。
國枝すみれ記者の良記事
「マイノリティーが不当だとして抗議すべき時もある。でも今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない」
思いついたの全部言った感じか。

"警告されラケットを地面にたたきつけて減点。「ウソつき」「盗人」「生きている限り私の審判をさせない」などと脅しペナルティー。男性選手なら厳しい制裁を受けないとし、性差別と主張。私はずるしない。娘がいるから間違ったことしない"
なんだろう…すごくまともに見える…(毎日なのに
高校野球も監督の指示受けられないようにしたらいいね! 
高校野球と言いつつ高校生が野球やってるのか、監督がやってるのかわからないもんな。
>今回は私もセリーナにがっかりした。特に、彼女が審判に「私はずるはしない。娘がいるから間違ったことはしない」という内容の発言をした時だ。ママであることは証明書でもないし、免罪符でもない。
「20年間セリーナの試合を見てきたという黒人の男性記者が「我々はセリーナの行動を批判するときに、人種差別や性差別と受け取られないかと心配してしまう」と告白した。このあたりが多くの米国人の本音だと思う」

記事本文: NYビート:セリーナ騒動の報道にみる米国文化 - 毎日新聞

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